お姫様でエロなスレ8
- 262 :名無しさん@ピンキー:2008/08/26(火) 22:44:45 ID:r6bT84hW
- じゃあエレノールはもらっていきますね
・・・な、なにをするきさまらー
- 263 :名無しさん@ピンキー:2008/08/31(日) 10:45:07 ID:7gNpgixE
- 保守ばかりの保守
- 264 :名無しさん@ピンキー:2008/08/31(日) 19:58:59 ID:7QCcqc0z
- >>262
間違いなくアランの仕業です
- 265 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 22:27:20 ID:KUyJvC1E
- こんばんは。
マリーとオーギュストのシリーズを書いている者です。
前回ご感想をくださったかたがた、262・264様のように登場人物を思い出してくださるかたがた、
いつもありがとうございます。
ひとつひとつが本当に励みになります。
結局今回も長兄夫妻の話になってしまったのですが、一応妻方の妹姫が出てきます。
バッドエンドではありませんが、全体として重い話になってしまいました。
長いので前・後篇に分けて投下させていただきます。
※ストーリー的にNGなかたもいらっしゃるかもしれないため、以下に注意書き兼ネタバレを一行書きます。
夫が妻の妹と関係する(強要される)
- 266 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 22:29:59 ID:KUyJvC1E
- 一瞬、幻を見ているような錯覚に襲われた。
書斎へ向かう途中に通りかかった吹き抜けの渡り廊下からは、中庭がよく見渡せる。
中庭の入り口付近には小さいが精巧な仕掛けの噴水があり、
その正面に置かれた長椅子にはふたつの人影が寄り添うように座っていた。
噴水のしぶきが宙に生み出す虹を愛でているのだろうか、ときどきかろやかな歓声が上がっている。
緑陰にて夏の朝の清涼を楽しむふたりの貴婦人。それは宮中ではありふれた風景である。
だが、ふたりの顔かたちが鏡に映したように同じであるということだけが尋常ではなかった。
頭上に広がるポプラの枝葉から零れ落ちる陽光を散りばめた黒髪と、ときおりまぶしそうに細められる漆黒の瞳。
余人が彼女たちを目にしたら、その寸分違わぬ精緻な美しさに、
地上に降りた一対の守護天使のようだと評する者もいるかもしれない。
だがアランを襲ったのは何か軽い眩暈のようなものだった。
しかし一瞬後、彼はすぐ事態を了解する。
あれは妻と妻の妹だ。何もおかしなことはない。一方が他方の分身などであるものか。
そして考えてみれば自分はここのところふたりと顔を合わせるたびに
こんな錯覚に襲われているのだということに思い至り、ひとり苦笑いをする。
ことの起こりはまったくの偶然だった。
夏の盛りを迎えたのを機に、王太子夫妻は例年どおり国土の東北に位置する山間部レマナを訪れた。
ここは辺境州としてガルィアの版図に組みこまれてから日は浅いものの、
穏やかな気候とたぐいまれな景勝、そして豊かな鉱水により国際的にも名高い保養地であり、
ガルィア王室の離宮が構えられているのはもちろん、諸外国の上流人士の所有になる別荘も多々点在していた。
自国がガルィアと政治的緊張状態に陥らない限り、彼らも毎年のようにここを訪れては英気を養い帰ってゆくのである。
猛暑の訪れとともに久方ぶりに公務から解放されたアランとエレノールの夫妻も、
宮廷の喧騒から離れたこの清涼な土地で、一昨年生まれた女児ルイーズを伴いながら静謐閑雅な暮らしを数週間楽しむつもりだった。
だが、レマナに到着したその日の夕方、ある隣人の噂を離宮の廷臣から伝え聞くと王太子妃はかつてない喜色に頬を染めた。
ごくわずかな供回りを連れただけの貴婦人が身元を隠すようにして数日前から近隣の城館に滞在しているが、
呼吸器の軽い疾患のために静養に来たというその佳人は
黒髪に黒い瞳ばかりか顔立ちの隅々までがエレノールに瓜二つだというのである。
奏聞が終わるやいなやエレノールはアランに口を挟む暇も暇も与えずに浮き足立つようにして離宮を出てゆき、
数時間後まさにその貴婦人を連れて戻ってきた。
それが彼女の妹エマニュエルだった。
嫁ぎ先の呼称ではエマヌエーラとなるそうだが、エレノールだけは母国語風にマヌエラと呼んでいる。
- 267 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 22:31:18 ID:KUyJvC1E
- スパニヤ王国第三王女エマニュエルはエレノールからすれば年子の妹にあたる。
芳紀十八にして陽光とオリーブの香りあふれる母国よりさらに南方のヴァネシア公国に嫁ぎ、今年二十一になるという。
南海の翡翠。斜陽を知らぬ都。神の恩寵に護られし地。
あまたの形容で古歌にも誉れ高く謳われる都市国家ヴァネシアは、
地形的には限りなく島嶼に近い小半島であり、
異教徒たちが割拠する東大陸から突き出た西南端の半島を
自らの属する文化圏である西大陸に海峡を隔てながらかろうじて結びつける危うい楔のような位置を占めている。
そして支配領域からいえば三方を海に囲まれた首都とその周辺の岩がちな沿岸線に限られ、
徹底した重商主義と人口寡小のため、自国の防衛は伝統的に外国人の傭兵に一任してきたというのが実情である。
しかしながら、地の利を最大限に生かして東西中継貿易路を最初に開拓し、
商業上の競争相手たる近隣諸都市を同盟の名のもとに次々と服属させ、
古来より一貫して独占的に繁栄を謳歌してきたのもやはりヴァネシアであった。
造船技術の向上と火薬の伝播により、ガルィアを始めとする諸大国も
軍事的・経済的に有利な陸路海路の開拓に勤しむようになって久しいが、
それでもやはり、この大陸に東方異教徒の国々から目の覚めるような精巧な文物をもたらすとともに
関税や専売制によって各国の重要財源をも提供している大陸間通商
―――いわゆる南海交易は、ヴァネシアの中継なしでは依然として成りたたないといわれている。
他にめぼしい産業もなく専ら交易に拠って立つ小さな都市国家の常として、
ヴァネシアにおいても政治的発言力は貴族議会より主要商会のほうに重みがあることは動かしがたい事実であり、
恣意的な法令でもって大商人たちの利権を侵害した君主が玉座を追われたことも過去に一度や二度ではない。
そのように、王侯貴族にとってはある意味屈辱的ともいえる国情がつづいており、
かつ地理的関係上、常に大陸間の戦火に巻き込まれる危惧を抱いて暮らさざるを得ないことから、
その統治者たる公に嫁ぐのは、いくら莫大な富に囲まれた生活が約束されるとはいえやはり相応の諦観と胆力が必要であろう、
と諸外国の王室からは縁組を敬遠される傾向があるのも否めない事実だった。
アランはこれまで義妹に一度も会ったことがないが、
エレノールとはひとつ離れているというのに並の双子以上によく似た妹姫だという旨は侍女たちから仄聞していた。
そのうえ子沢山なスパニヤ王室のなかでも最も仲がよい姉妹だといい、
未婚時代のふたりはいつも一緒にいるがゆえに、それぞれの従者は常々己が主人の識別に心を砕かねばならなかったという話である。
ただしエレノール自身はと言えば、妹に言及するときは必ず
「あの子はわたくしよりずっと綺麗だから、あなたがお会いになったら心を奪われないかと心配だわ」と、
冗談とも本気ともつかない声で付け足すものだから、アランも若干興味を惹かれないでもなかった。
むろん、おおよそは妻の罪のない誇張というか身びいきであろうと思いながら。
何しろ、もともとが肉親に対し情の深いたちだとはいえ、
エレノールがすぐ下の妹について語るときの愛情の込め方には、いつもひとからならぬものがあった。
小さなときからとても愛らしくて、聡明で、努力家で、思いやりがあるのだと。
その幸せそうな語り口を聞くにつけても、すぐ下の弟ののらくらぶりに自分は幼い頃からどれだけ気を揉まされてきたかを思い出し、
何かこう、世の不公平を感じるアランでもあった。
- 268 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 22:34:18 ID:KUyJvC1E
- エレノールが妹を連れ帰ってきたその晩、急ごしらえの宴席にてヴァネシア公妃エマニュエルと初めて対面してみたところ、
容姿においては妻と伯仲であろうという予想は間違っていなかった。
華奢ながら女性らしく優美な体格は言うまでもなく、
飴菓子のように滑らかで柔らかそうな小麦色の肌も雨上がりのように潤いを含んだ黒髪も、
そして大粒の宝玉と見紛うばかりの漆黒の瞳も、たしかにエレノールと寸分変わらぬ造形というべきであり、
真珠や珊瑚を贅沢に散りばめたヴァネシア風の髪飾りや装束さえまとっていなければ
アランでさえ一瞬妻と見間違えかねないほどの危うさがあった。
しかしながら彼は、無難な時候の挨拶を美しき義妹と交わしながら、
そんな誤りは実際には起こり得ないとじきに確信をもつに至った。
そしてそれこそ、エレノールが「あの子はわたくしよりずっと綺麗だから」と評する理由に違いない、とも彼は思った。
姉姫がそうであるのと同様、エマニュエルも温和で気品に満ちた婦人であるが、
万事におっとりとして他人を信じ込みやすい姉姫に比べ、
彼女のほうは穏やかな態度のなかにも他者に馴れ合いや阿諛を許さない確固とした線引きのようなものが感じられた。
王侯貴族の社交の要であり人物評価の基準にもなりうる会話術はといえば、
若い女性の常として主題の定まらない話をとりとめなく語りつづける傾向のあるエレノールに比べ、
エマニュエルのほうは整然として機知に溢れる会話を主導しなおかつ聞き上手なので、
アラン自身俺はこれほど話術に巧みだったのかと幾度も錯覚を覚えるほどであった。
そして何より姉妹の区別を印象づけるものとして、エマニュエルの瞳には力があった。
石膏に刻みつけられたかのようにくっきりとした二重まぶたも
密林のように濃く長いまつげも森の奥深くで湧きいづる泉のように黒く濡れた虹彩も、
器官としてのつくり自体はエレノールとほとんど変わるところがないというのに、その発する気配が彼女とは全く異質なのだった。
使い古された言い回しではあるが、わが妻が万物に柔和な光を注ぐ月ならこの娘は太陽だな、とアランは思った。
それも炎夏の朝、一日の生命力を燃やし始めたばかりの太陽である。
義妹の美しい瞳にはそれほどの鋭気が潜んでいた。
しかしだからといって、彼女は見るからに気性の激しさを感じさせるというわけでは全くない。
ともに食卓を囲んでいるときの挙措や表情、ことばづかいは、姉姫ほどの打ち解けた人好きさには欠けるとはいえ、
二十歳を過ぎたばかりの年若い娘にはそぐわぬほどの落ち着きと余裕があり、
いまここには同席していないものの、
対面を果たしたおりには幼いルイーズもすぐにこの美しい叔母に懐くことであろうとアランには容易に想像がついた。
そして同時に、この義妹は自身の明敏さをごく自然に糊塗できるほどの知性に恵まれており、
しかしその知性をもってしても覆い隠せないほどの情熱を内側に秘めているのだろう、とふと感ぜられた。
- 269 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 22:37:23 ID:KUyJvC1E
- (たしかに、エレノールが冗談でも不安を口にするだけのことはある)
静かに酒杯を傾けつつ妻とその妹の顔をそれとなく見比べながら、アランは少し酔いの回った頭でぼんやりと思った。
彼女たちは同席するアランに遠慮してガルィア語で話を続けているが、
その歓談の盛り上がりようから察するに、彼が席を外すのさえ待てずに今にも母国語で互いの愛称を呼び合いたいに違いなかった。
それにしてもエマニュエル妃はわが国語に長けている。アランは密かに感心した。
自他ともに認める随一の文化国家という位置付けから、ガルィアはその国語さえもがこの大陸の優越者たる地位を占めて久しかった。
いわゆる国際公用語である。
むろん各国とも何よりまず自国語での文芸振興を標榜しているものの、いずれの国であれ上流社会に属する者たちは、
ガルィア語をいかに流暢に使いこなせるかということに貴種としての沽券を賭ける風潮が強かった。
そのような教育方針を何代もとり続けた結果として、
彼らの子女には自国語で手紙を書けない者さえいるというのだからアランなどは失笑してしまうが、
彼が義妹に感服したのは、彼女は母国語や嫁ぎ先の言語は言うに及ばず
ガルィア語も古典語も実に不足なく習得しているからだった。
姉妹それぞれ婚約者が定まっている身ながら十五六ごろには天性の美貌が鮮やかに色づき始め、
スパニヤの宮廷人たちの注視を浴びずにはいられなかったであろうことは想像に難くないが、
聞くところによれば、エマニュエルに懸想する貴公子の数は常に姉姫の倍はあったという。
さもありなん、とアランは思う。
それほどに、温和な物腰と明朗な瞳の裏側に暗い情炎を秘めた、どこか深淵を感じさせる娘なのだ。
この姫が隠そうとしている情熱を引き出せた暁にはどんな悩ましい表情を見せてくれることだろう。
周囲の男の気概をしてそう駆り立てずにはおかない何かが、この娘にはあるのだった。
そしてそれだけに、惜しいことだ、ともアランは思った。
不憫なことだ、と言ったほうが正しいだろうか。
大陸屈指の由緒ある血統はむろんのこと、美貌も知性も社交性もあまねく兼ね揃えたこの娘、
これ以上何も望むことなどあるまいと傍からは思われる年若い貴婦人は、
結婚生活に関してはその美質にふさわしい待遇を与えられているとは言いがたかった。
- 270 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 22:41:03 ID:KUyJvC1E
- もとより遠く離れた異国の宮廷の内情であり、アランとてそれほど確信をもって把握しているわけではないが、
南海東部方面の諸国に放っている間諜たちからの定期報告によれば、
―――むろん彼らの第一の任務は当該国の政治経済および軍事上の動向を探ることであり、
君主の私生活に言及するとしたらあくまで備考という域に留めるのみではあるのだが―――
彼女の夫である現在のヴァネシア公はくたびれた初老の男であり、
先君である兄の跡目は本来その一人息子が継ぐはずであったのが、
当時東方からもたらされたばかりの流行り病で夭逝してしまったがために、
五十も過ぎてから急遽公位継承権が転がりこんできたのだという。
皮肉なことに、エマニュエルが本来婚約していたのは英名高き公太子のほうであり、
ヴァネシア公は玉座と同時に若く美しい許嫁を手に入れたことになる。
しかしながら彼の評判は将来を嘱望された甥に遠く及ばず、
即位の話がもたらされるまでは諸国の富が集まるヴァネシアの豊かさを享受しながら日がな安穏と暮らしていたためであろうか、
政治家としての手腕もまるで未熟だという話だった。
実際、エレノールに聞いたところでは、彼女たちの父であるスパニヤ国王も、
このような「再嫁」を図ることに若干の躊躇を覚えたというが、それでも結局踏み切るに至ったのは、
中継貿易地としてのヴァネシアの重みゆえであったろう。
それはヴァネシア以北のどの国においても変わらぬ事情ではあるとはいえ、
殊に南海貿易による利潤が歳入の小さからぬ割合を占める海洋国家スパニヤにおいては、
かの公室との紐帯を維持することはまさに喫緊の課題であった。
一度も顔を合わせたことのない夭折した婚約者に対しエマニュエルがどれほどの思い入れを持っていたかは知る由もないが、
エレノール及びその上のエスメラルダといった姉姫たちが年相応の青年貴公子たちに嫁いでゆく一方で、
父親より年上の男のもとに嫁がされることになった運命を一度も嘆くことはなかった、
と推し量るならあまりに美談でありすぎるだろう。
それでも夫が家庭人として思いやりのある年長者であったなら救いはあったかもしれないが、
現実はといえば、ヴァネシア公はエマニュエルを娶ってからも宮中のそこかしこに愛人を侍らせて憚らないのだという。
間諜からの報告を引用すれば、「スパニヤの貴婦人独特の謹厳さに公はついに馴染むことができなかった」
ということである。
経済的な余裕さえあれば王侯貴族が蓄妾に励むことなどガルィアを始めどこの国でも珍しくなく、
何もヴァネシア公室に限った陋習ではないが、
同一の信教、同一の戒律を奉ずるこの大陸の人間はみな少なくとも法の上では一夫一妻制に服しており、
それは王侯貴族も同じことであって、公式の寵妃といえど神の前で誓約を交わした正妻に対しては顔を伏せるのが当然である。
それだけに、夫の愛人たちが我が物顔で闊歩する宮廷に正妃として起居しなければならない屈辱は余人には図りしれないものがあり、
またそれだけに、今こうして目の前にいる当の娘が常に温顔で他者に心地よい物腰を保っていられるというのは賞賛に値する、
とアランにはひそかに思われた。
(これも衿持の高さゆえか)
内心の苦痛や葛藤を露わにすること、そして他者の憐れみを向けられることだけは何があっても忌避しようと、
公妃エマニュエルは習慣的に自分を厳しく律しつづけているのだろう。
そのきわめて自制的な態度は堅牢の域にさえ達しているが、
一方では確かに姉姫エレノールの芯の強さに通じるものを感じさせ、アランは初対面の席から総じて義妹を好ましく思った。
- 271 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 22:44:18 ID:KUyJvC1E
- が、彼女は彼女でよくできた貴婦人だと判明したが、
アランをやや困惑させたのは、妹に対するエレノールの度を越した愛着ぶりであった。
レマナ離宮に到着した晩、つまりエマニュエルのために宴席を張ったその晩、
エレノールは夫婦の寝台で珍しく上目遣いになって夫に嘆願したのである。
「ねえアラン、妹がこの地に滞在する間、いま居る城館からこちらの離宮に呼び寄せてもよろしいでしょう?
私事ですから、従者たちも含めた応接費はすべてわたくしの資産からまかないますわ」
「一個連隊を養うわけでもなし、別にそこまで気を遣わずともよい。
姉が妹との再会を祝すのに、どうして妨げる理由があろう」
「ではあの子をこちらに迎えてよろしいのですね?ありがとうございます、アラン」
夫の肩に頬を寄せながら、エレノールは濃いまつげに縁取られた大きな黒い瞳を弧のように細めた。
もともとが表情ゆたかな彼女は満面の笑みをこぼすのに吝嗇であったことはないが、
それでもこの笑顔を見るためなら何でもしてやりたい、とアランに思わせるには十分な明るさだった。
「もうひとつ、お願いしてもよろしいでしょうか」
「なんだ」
「あの子がこちらにいる期間は限られますから、朝晩できるだけ同じ空間で過ごしたいのです。
食事もお化粧も、眠るのも一緒に」
「つまり妹御を優先して、俺は独居の身か」
「申し訳ございません。―――お許しいただけましょうか」
エレノ―ルの声は幾分か小さくなっていた。
そもそもこのたび都からはるばる離宮に足を運んだのは、
単に避暑だけではなく公務に邪魔されない休暇をふたりで楽しむためでもあったのだ。
童女でもあるまいし夜ぐらいは夫婦の寝台に戻って来い、とアランはよほど説得したかったが、
妻の黒く潤いある瞳に不安げに見つめられるとその強気もだいぶ失せてしまい、しばらく考えをめぐらすほかなかった。
「―――まあいい。妹御が滞在する間だけ、という約束だ」
「うれしい。ありがとうございます、アラン」
エレノールはふたたび笑顔になって夫に抱きつき、頬や顎に感謝の接吻を降らせた。
「だがその前に」
「え?」
「条件がある。いや、ものごとの理と言ったほうが正しいか」
囁きかけながら、アランは妻の首筋に唇を這わせた。
「しばらくの間そなたは自ら神聖な夫婦の義務を放棄するのだ。その代償は大きいぞ」
「代償」
「今夜は誠意を尽くしてもらわねばな」
「誠意だなんて、……だめ、お待ち下さい……っ」
夫の手が強引に寝衣を剥ぎ取ろうとするのをエレノールは阻止しようとしたが、むろん果たされず、
それどころか裸身を軽々と持ち上げられて彼の腿の上にまたがる姿態をとらされるに至った。
下から無遠慮に見上げてくる夫のまなざしに耐えられず乳房を両手で隠しながらうつむくと、
すでに大樹のように屹立した雄が彼女の視界に堂々と映る。
「アラン、もう、こんなに……」
「そなたのせいだ。明日からは長らく見捨てられる境遇なのだからな。
せいぜい慰撫してやろうとは思わんか」
「も、もちろん、申し訳なく思ってはおりますけれど」
「思うだけでは同じことだ。行為で示せ」
「でも……」
「そなたの敬愛する聖アルトゥールも『教書』後篇第二節で同じことを述べているだろう」
こんなときに聖人を引き合いに出すなんて、とエレノールは本気でアランに腹を立てかけたが、もはや拒む術はなかった。
準備万端に反り返る逞しい彼自身を眼前にして、
己の花芯もひそやかに火照り潤い始めていることを認めないわけにはいかなかったからだ。
(この淫らな身体をどうか、お許し下さい)
世のあらゆる聖者たちに許しを請いながら、彼女は祈るようにこうべを垂れ、
硬直した雄の先端をその紅唇で挟み、いとおしむように優しく吸った。
妻がようやく「誠意」を見せる気になったことをここに確認し、アランは深い満足の吐息を漏らした。
- 272 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 22:45:20 ID:KUyJvC1E
- エマニュエルとの共同生活はそのようにして始まった。
共同生活とは言っても実質は広壮な離宮の一角でのエレノールと彼女との閉ざされた蜜月であり、
しかも詩の朗読やらレース編みやら鉱水への入浴やらルイーズのための人形選びやら、
朝から晩まで女子どもが好きな営みに終始しているので、
アランなどは食事の席を除けばほとんど義妹との接点もないほどだった。
それはいいのだが、妻ともめったにふたりきりになれる場がないとなるとやはり不満は募ってくる。
たまにその機会をとらえると、彼はつい揶揄のひとつも言いたくなるのだった。
「よくもまあ、四六時中一緒にいて飽きないものだな」
「ごめんなさい。―――妬いていらっしゃる?」
申し訳なさそうに、だがほんのりと可笑しそうにエレノールが言う。
まったくはずれでもないだけに、アランの口調は却って無愛想になった。
「妻の実妹になど誰が妬くものか。
ただ、生まれてからずっと一緒に育ってきた年子の妹とこれ以上何を話すことがあるのかと訝しく思うだけだ。
寝台まで共にしてな。女はよく分からん」
「こちらに嫁いで以来ずっと離れ離れだったのですもの、積もる話は山とございます。
あなただってマテュー殿ご帰京のおりは、ご兄弟ふたり水入らずで同衾なさりたかったらお止めしませんわ」
「気色悪いことを言うな」
本気で眉をしかめた夫を尻目に、エレノールは口元を押さえつつ笑いを噛み殺しきれぬまま妹の待つほうに歩き去ってしまった。
やれやれ、と小さく息を吐きながらアランはその背を見送る。
(朝から晩までマヌエラ、マヌエラか)
しかし自分で許諾した以上、それは受け入れるより仕方のないことだった。
エマニュエル妃を離宮に迎えて以来、アランは夜を書斎で過ごすことが多くなった。
都の王宮に劣らぬほど広い夫婦の寝室をひとりきりで使うのは当初は新鮮な気もしたが、
次第次第に侘しさがつのってきたからだ。
一年に数週間しか滞在しないとはいえ、離宮の書斎もなかなかの蔵書を誇っており、
なおかつチーク材を贅沢に用いた部屋全体が涼やかで過ごしやすいため、
書棚の間に置かれた長椅子で夜を明かすことは、徐々に慕わしくさえ思えるようになってきた。
(あと何日だったか)
エレノールに悪いとは思いつつも、義妹の出立までに残された日数をひそかに数えつつ、
アランは日干しの匂いがする古書の頁をくくるのだった。
- 273 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 22:47:32 ID:KUyJvC1E
- その晩もやはり同様に過ごすつもりだった。
最後の衛兵に見送られて回廊の角を曲がったそのとき、アランはふと足を止めた。
あと数歩でたどり着くはずの書斎の扉から、生糸のように微かながら一条の明かりが漏れている。
決して小規模ではないレマナ離宮とはいえ、
衛兵の咎めを受けずに王太子の私的空間へ立ち入れるのはひとりしかいようはずがない。
彼女がこんな時刻にこんな場所で己を待ち受けようとする意図は掴みかねたものの、
アランはついつい早まる足取りを抑えることができなかった。
敲く暇さえ惜しまれて扉を一息に開けると、彼の視界をまず覆ったのは部屋の中央から円心状に広がるほのかな光だった。
暗がりによく目を凝らせば、その源は樫の文机の上に置かれた三叉の燭台であり、
さらによく見ればそのうちの中央の枝のみに立てられた小さな蝋燭である。
そしてその傍らには華奢な人影が佇み、慎ましい静寂のうちにこの部屋の主人を迎えいれた。
アランも何も言わなかった。
厚く敷かれた絨毯に足音を沈み込ませて近づくと、ただ彼女をゆったりと抱擁し、そのままそこに立ち尽くした。
湯浴みを終えたばかりなのだろう、艶めかしいほどに潤いを含んだ黒髪にゆっくり顔をうずめると、
焚きしめられてまもない白檀の香りがいつにも増してかぐわしく鼻孔を突いた。
こうして二人きりで触れ合うのはたかだか数日ぶりのことだというのに、
アランにはなぜか、かつて政務のため都を数週間から一月ほど留守にした折よりもさらに胸が満たされる思いがした。
誠に大人気ないことではあるが、この静閑な離宮に到着してからというもの、
妻の注意が専ら久方ぶりに再会した妹と慣れない環境にむずかりがちな幼い娘に向けられていることに、
自分が思う以上に寂寥を募らせていたのかもしれない。
そう思い至るとアランはひとり微苦笑し、腕のなかのやわらかな頬に手を当てて顔を上げさせると、
彼女の側の意向を確かめるようにそっとその双眸を覗きこんだ。
エレノールの美貌の中心をなす大きな瞳は儚げな蝋燭の光を宿しつつもますます深みのある黒さを帯び、
夫のあらゆる望みに応える用意があると告げるかのように、従順なまなざしで彼の視線を受け止めていた。
だがその瞳の奥には、どこか緊張を孕んでもいた。
その事実に気づくとアランは、訝しさよりもむしろ愛おしさと情欲とが累乗的に募ってくるのを感じた。
生娘のそぶりとは初々しいことだ、と戯れかかりたくなるのを堪えつつ、手すさびに黒髪を梳いてみる。
エレノール、と初めて名を囁くと、抱きすくめられたままのしなやかな肢体はまなざしと同様にかすかな硬直を示した。
だがそれさえも夫の目には違和感となりえず、彼女の貞淑さゆえのためらいと恥じらいの結実と映った。
ふたたび妻に顔を近づけ、今度はゆっくりと唇を重ねる。
最初はいくらか強張りを感じたが、じきに彼女の唇からも力が抜け、
喘ぐような吐息とともに無防備な口腔が明け渡された。
愛撫に対してひたすら従順で受け身がちな態度は以前と変わるところがなかったが、それさえもかえってアランの満足を促した。
けれど、妹姫に勧められてエレノールは就寝前に東方産の茶でも嗜むようになったのであろうか、
久しぶりに絡めあった柔らかな舌は、ほんのりとジャスミンの香りがした。
- 274 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 22:48:43 ID:KUyJvC1E
- ごく自然な流れで妻の寝衣の帯に手をかけると、彼女は一瞬だがはっきりと身震いをみせた。
それはアランには理不尽な翻意としか思えぬものだった。
「寝室以外の場で営むのはそれほど嫌か。そのつもりでここを訪うたのだろうに」
エレノールは答えなかった。
妙だな、とアランは初めて動きを止めた。
いつもなら妻は必ずこのあたりで、己の羞恥心を嬲りものにせんとする夫の非礼に顔を赤らめながら憤りの声を上げるものなのだ。
アランのなかでふいに不安が芽生えた。
たしかにエレノールは、妹姫と再会を果たしたその晩、
ここレマナ離宮に滞在する間はエマニュエルとの時間を優先させていただきたいとアランに請い願い、彼もそれを了承したのだ。
夫婦の間の口約束とはいえ、それを忘れてはいけなかった。
「寝室で待つ妹御のことがやはり気になるか。
無理もないことだが、―――だが、俺はやはりそなたが欲しい。
しばしのあいだ肌を許してはくれぬか。情事の跡は極力残さぬように気をつけると約束する。
そなたとて、接吻だけで満たされるわけではあるまい。
それとも、就寝前のくちづけのためだけに俺に会いに来たのか」
それでも妻から返事はなく、広々とした書斎は彼自身のことばの余韻を漂わせるだけだった。
どこかに苛立たしさと不明瞭感が残ったが、アランはついに折れた。
ただ肉の欲望に突き動かされて交合を求めている、そのように思いなされるのは決して望むところではない。
「―――そなたが厭うことはするまい」
短くそう呟くと、今はこれで満足しよう、とでも告げるかのようにふたたび彼女の華奢な腰を強く抱き寄せ、
その黒髪や首筋や肩にゆっくりと接吻を降らせた。
そのときふいに、エレノールが面をあげた。彼女は依然として無言だった。
ただしその煌々たる瞳にはもはや緊張の色はなく、
既に連れ添って四年になるアランをして思わず瞠目させるほど、挑発的なまでの艶めかしさを怖じることなく放っていた。
エレノール、と呼びかけるその前に、アランは既に細い指先が自らの頬を這い、唇を優しくなぞるのを感じていた。
いらして、と聞こえたような気がした。
それは後で考えれば、彼のなかで情動の舫が解かれるのと全く時を同じくしていた。
- 275 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 22:49:55 ID:KUyJvC1E
- 妻に手を引かれて促されるがまま、アランは文机と対になった樫製の椅子に腰を下ろし、膝の上に彼女を横向きに座らせた。
見た目はごく華奢だとはいえ、彼に重みを預けた臀部の丸みと触感は、改めて子をなした女を感じさせた。
肩を抱き寄せて唇を重ねると、ついで頬、耳たぶ、顎、首筋、鎖骨へと徐々に軌道を下げてゆく。
妹姫の侍女に手伝わせたものなのか、珍しい結い方をしている帯を解き胸元の紐を解いて肌着まですっかり剥ぎ取ってしまっても、
彼女はもはや夫の手から逃れようとするそぶりも見せなかった。
淡い灯火のなかで目を細めれば、小ぶりながら形のよい乳房の頂点が屹立していることははっきりと分かった。
両手の親指をあててそこをこね回してみると、花弁のような唇からはジャスミンのかぐわしい吐息が漏れた。
「触れる前からずいぶん硬いようだ。そなたも欲していたのだな、そうだろう?」
「アラン……あ、い、いやっ」
「ここも確かめねば意味がなかろう。
やはりすっかり濡れている。もう指を二本もくわえ込んでいるぞ。分かるか?」
「だめぇ……かきまぜないで……っ」
「つぼみも大きくなってきたな。ふだんよりさらに敏感なのではないか?
ほら、望みどおり剥いてやる」
「い、いやぁっ!そこは、だめぇっ!」
「なんという濡れようだ。もうまもなく達しそうだな。どうだ、指だけで果てたいか」
「い、いいえ……指だけでは、だめ……」
「ならばどうしてほしい。今度こそ黙るのではないぞ」
「あ、あなたの、……ものが、ほしいです」
「大きくて硬いものが、だろう?この間の晩は涙ぐみながら何度となく俺にそうねだったではないか」
あなたがわたくしにそう言わせたのです、という憤慨に満ちた返事が返ってくるかと思ったが、そうではなかった。
愉悦に流されまいとする恥じらいに満ちた表情は予想通りだが、唇のほうは何かを言いかけてはまた閉じ、
しかし結局、夫の耳元で素直に問いに答えた。
「はい、……あの晩のように、あなたの大きくて硬いものを、わたくしのなかに、ください」
「今夜はずいぶん素直ではないか。よほど飢えを募らせていたのだな」
「飢えだなんて……」
「そなたの本性が牝犬と変わらぬことはよく分かっている。
ひとたび欲情すれば前から後ろから責められないかぎり我慢できない女だ。そうだな?」
「はい、―――わ、わたくしは、あなたの牝犬です。ですから指だけではなく、どうか、―――はあぁっ!」
「いい子だ。今夜は驚くほど素直だな」
「は、はい、―――ご褒美がいただけて、うれしゅうございます」
とぎれとぎれの熱い息を漏らしながら、エレノールは夫の肩にしがみついた。
たったいま一瞬のうちに身体を持ち上げられ、屹立した陽根の先端を濡れそぼった秘裂に押し付けられたのだ。
これ以上深いところまで欲しかったら自分でまたがれ、といわんばかりの残酷な仕打ちに
彼女は慄くように瞳を閉じたものの、火照りきった肉体のほうはごく素直に夫の要求に従い、
自ら腰を動かしては淫猥な蜜音を書斎中に響かせつつ、彼自身をゆっくりと根元まで飲み込んだ。
- 276 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 22:50:56 ID:KUyJvC1E
- アランもこのころにはさすがに呼吸を乱さないわけにはいかなかった。
柔らかく温かい襞の中に自分自身が深く迎え入れられていくという触感的な愉悦ももちろんだが、
数日ぶりに肌を重ねる目の前の妻が羞恥心と戦いながら細い腰を前後に激しく揺らし、
それに伴い愛らしい乳房と硬いままの乳首を悩ましく上下させては
高まりゆく快感に涙ぐむのをじっとこらえているという光景そのものが、彼の興奮を否がおうにも煽り立てるのだった。
「今夜の腰使いは、また大したものだな。玄人女にでも教えられたのか」
「ち、ちが……何もかも、あなたにお喜びいただくために、わたくし……あ、あぁ……っ」
「可愛い女だ。だが俺のためと言わず、そなた自身の満足のためにいくらでも貪るがいい。この淫乱め。
俺も貢献してやる」
荒い息でそう言うと、アランは妻の細腰を両手でしっかりとつかみなおし、下から猛然と突き上げ始めた。
「あ、あぁっ……いやっ、そんなに激しく、だめぇっ!」
「激しく責められるのが好きなのだと、今まで何度となく身をもって告白したではないか。
いまさら隠そうとして何になる」
「い、いやっ、許して、もう……あ、あぁっ…そんなに、奥まで……
あ、ああぁっ!そこ、です……っ……もっと、もっと突いて……」
「この辺りも感じるようになったのか」
女はいくらでも目覚めてゆくものだな、と嬲るように囁きかけたとき、アランはふと動きを止めた。
腰の反復運動だけでなく、表情や呼吸さえも彫像のように凍りつく。
彼の視線の先にあるのはエレノールの首、正確には顎の裏側だった。後ろにのけぞったときに初めて人目に触れる部位である。
そこはほかと変わらず滑らかで艶のある肌に覆われている。だが一点だけ彼には見慣れぬ符号―――大きめのほくろがあった。
最初は黒の顔料がこぼれたものかと思われたが、それが気休めの考えであることは自分自身で分かっていた。
これはほくろだ。そしてエレノールにはこのほくろはない。
アランは目をつぶった。
これが数分前ならまだ中断できたが、楔のように深いところまで結ばれた今になっては
引き返そうと続行しようと犯した過ちの重さは同じだ、と彼には思われた。
肝要なのは、最後まで「気づかなかった」ことにすることだ。今はそれしかない。
動作を停止してから一瞬のうちに対処を決めると、
彼はもはや呼吸が乱れすぎて何も言えないというかのように、ただ無言で『妻』のきつく締まった花芯を突き上げ始めた。
彼の背中にまわされた細腕の力が強くなった。
胸の中の美しい牝は、ここで息絶えようと惜しくないとばかりに彼から与えられる愉楽をただただ素直に享受し、
自らもいっそう激しく腰を前後に揺さぶっている。
そしてある瞬間、アランは『妻』の身体を持ち上げて荒々しく引き剥がした。
彼女はひどく切なげな声を上げてその無情に抵抗したが、
やがて自らの平らな腹部に放たれた白濁液をいとおしげに指先にとり、
まだ熱いままのそれを舌先で上品に舐めるようすが、薄れゆくアランの視界にもはっきりと映った。
- 277 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 22:52:03 ID:KUyJvC1E
- 「どうして、離れてしまわれたの?」
書斎に横たわる静謐を最初に破ったのはその声だった。
アランは顔を向けず、何も答えなかった。
ほのかな微笑とともに紅唇から漏らされた吐息がすぐそばで聞こえたような気がした。
彼の未だ収まらぬ呼吸の間を縫うようにして、ひそやかなことばは続けられた。
それはもはや妻どころか義妹の声でさえなく、己の魂を獲物と定めた地中に潜む死霊からの呼びかけのようであった。
「何をためらわれたのです」
「ためらってなどいない。普段、―――普段からずっとこうしているではないか。
そうだろう。そなたを一年中身重にしたくはない」
ほとんど自分に言い聞かせるようにして、アランはゆっくりと答えた。
そうだ、これが真実なのだ、とひとり胸中に繰り返しながら。
自分で自分の言を真実だと思わなければ、この女に信じ込ませられるはずがない。
そうだ、こちらが彼女の思惑に攪乱されるのではなく、こちらの思惑に彼女を従わせなければならない。
エマニュエルにどんな動機があってこんな所行に及んだのかは分からないが、
エレノールへの罪悪感を―――少なくとも後ろめたさを感じているのは彼女とて同じはずであり、
ならばこちらが「最後まで気づかなかった」ことにしておくのが双方にとって最善の処置なのだ。
それしかない、とアランは思った。
自らの服装を正し帯を締めなおしながら、彼は極力自然に、
情事のあとで夫が妻にかけることばとしては冷たすぎず熱すぎもしない程度の温度を込めて、できるだけ淡々と話しかけた。
「早く寝室に戻ったほうがいい。妹御がふいに目を覚まして、そなたの不在を不審に思っているかもしれん」
「『今夜は』冷たくていらっしゃるのね。
ことが済んだら抱擁さえくださらないのですか?いつものように、慈しんでくださいませ」
「―――悪かった。そなたが気を急いているかと思ったのだ」
ますます膨れ上がる戸惑いと不可解さを押し隠しながら、アランは再び「妻」に近づき、未だ火照り鎮まらぬ細い肩を抱き寄せた。
彼女の願いに背かぬよう、すなわち彼女に疑念を抱かせぬよう「いつものように」額から首筋、肩へと接吻を降らせ、
エレノールとの親密な後戯を再現しながら、
なぜこの娘はわれわれの房事についてかくも審らかに知悉しているのだろう、とアランはふと栗然とするものを感じた。
いくら仲の良い姉妹だとはいえ、果たしてあの謹厳なエレノールが多少なりとも淫靡さを孕んだ話を妹に打ち明けるだろうか。
あるいは単なる推測に基づいて俺をけしかけているだけかもしれない。むしろそのほうが自然だった。
だが、そもそもこの娘は、この作為を通じて俺に何を望んでいるのか。
- 278 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 22:54:01 ID:KUyJvC1E
- 「わたくしの名を呼んで」
首筋への接吻を受けながら、エマニュエルが囁いた。
「あなたの声を聴きたいの。いつものように呼んで」
「妙なことを」
アランはできるだけ自然に微笑を浮かべようとした。
「これだけ近くにいてまだ不安か。―――エレノール。エル」
ふたりきりのときに妻に呼びかける愛称を、アランは初めて他人の前で口にした。
周囲の人間に情愛を示すことに全くためらいのないエレノール自身は、
公務の場でもない限りいつでもそう呼んで下さればいいのにと言うが、
弟妹たちをさえ愛称で呼ぶ習慣を持たずにきた彼にしてみればそんな昵懇は論外のきわみである。
だが今だけは、とアランは思った。
今だけは固執を捨ててこの娘の望みに応えるが吉であろう。
もっと、と腕のなかからひそやかな懇願が聞こえた。
「もっと、ある限りの名でわたくしを呼んで。あなたがいつもそうなされるように」
「エレノール。ルゥ。エラ。エレナ。レネ。ノーラ」
「うれしいわ、お義兄様」
天井が真冬の湖面と化したかのように、部屋の空気が一瞬にして凍結した。
少なくともアランにとってはそうだった。
「いつもこうして、姉様にお呼びかけなさるのね。夜毎こうして、姉様をいとおしまれるのね」
その声音は誰のものでもない木霊のように虚な響きだった。
アランは反射的に「妻」から身体を離した。
エマニュエルはもはやそれを制止しようとはしなかった。
ひとり文机の前の椅子に―――たったいま情事を交わしたばかりの椅子に腰掛けると、
何とか動悸を落ち着かせようとしている義兄とは対照的に、
奏者の手を離れたリュートの弦のように静謐なまなざしでただ彼を見つめている。
「やはりわたしだとお気づきだったのね。どうか怯まないで下さいませ、お義兄様」
「―――貴女は」
アランは深く息を呑んだ。
「何を考えている。一体何を企図してこんなことを」
「あなたをお慕いしているから、というのではいけない?」
「それはあるまい」
アランは間を置かずに答えた。
いくら自負心の強い彼だとはいえ、義妹の日頃の挙動には自分への特別な思慕を窺わせるものなど何もないことはよく分かっていた。
「世辞や韜晦は聞きたくない。貴女の真意が知りたい。なぜだ?」
「なぜかしらね。自分でもはっきりとは分かりませんの。強いて言えば、欲望を感じたからかしら」
「欲望だと」
「姉様の伴侶と寝ることに」
書斎の外から小さく物音が聞こえた。
廊下に詰めている衛兵たちの交代時間なのだろう。
エマニュエルはその雑音に乗じて義兄から目をそらすわけでもなく、きつく凝視するわけでもなく、
机の上の瑠璃杯のようにただそこにある静物として彼を眺めていた。
それはアランには侮辱的ともとれる視線だった。
そして同時に、彼女が姉への裏切りに対して何の後悔も抱いていないことを語るものでもあった。
- 279 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 22:55:08 ID:KUyJvC1E
- 「一体なぜだ。昼間は水が滴り落ちる隙間もないほどふたり仲睦まじく過ごしているではないか。
エレノールが貴女に何をしたというのだ。あれは貴女を誰よりも愛している」
「存じておりますわ。そしてわたしも心の底から姉を愛しております。
あなたなど及びもつかないくらいに。
十年後二十年後にあなたのご寵愛がどれほど保たれているかは疑わしいものだけれど、
姉様が老いようとわたしに冷たくなろうと、わたしは姉様を愛します」
「ならばなぜだ」
「お分かりにならないのね」
幸せなかた、とでも嘯くかのようにエマニュエルはまたほのかに笑った。
「こんなにも深く愛しているからこそ、こんなにも強く憎むことができるのですわ。
あなたには及びもつかぬほどに」
アランは視界が揺らぐような思いで義妹を見た。
妻に瓜二つであったはずのその美貌は、いまや悪魔の手になる彫琢としか見えなかった。
「―――分からん。俺には分からん。今夜のことは何もかも計画していたというのか」
「いいえ、全くの弾みでしたわ」
穏やかにそう呟くと、エマニュエルは憐れむようなまなざしで義兄を見返した。
「あなたのせいですのよ、お義兄様」
「何を言う、―――貴女が最初に人違いだと拒みさえすれば、あんなことは決して」
「ええ、そのつもりでしたわ。
最初はほんの戯れだったのです。
真夜中に目が覚めて、隣では姉様がまだ眠っていて、ふとお義兄様はどうしておいでかと思いましたの。
わたしがこちらに参って以来独り寝をかこっておられるがために、
最近は夜遅くまで書斎にお籠もりになられているという話はかねてより伺っておりました。
今日はとりわけ行く先々で姉様と取り違えられたせいかしら、
もし衛兵たちにも見咎められることがなければ、書斎にお邪魔してあなたを試してみようと思いついたのです。
あなたが入室なさったとき、衛兵たちと同じようにあなたも全くわたしを見破れないと知って、
とても可笑しい気持ちでしたわ。
互いの唇が触れる寸前、わたしが自ら打ち明けるまでお義兄様は一片たりともお気づきにならなかったと、
明日の朝姉様にお聞かせしたらずいぶん面白がって下さろうかと、そればかりを考えておりました」
「なぜ、戯れに留めておかなかった」
絞り出すような声でアランは言った。
「あなたがいけないのですわ、お義兄様。わたしは本当にあのときやめるつもりでした。
次の瞬間にでも笑い出して、かつがれたお義兄様にも笑っていただこうと、そう思っておりましたのに。
あんなふうにわたしを、―――姉様を抱擁なさるから」
エマニュエルの声から最後の和らぎが消えた。
「確かめずにはいられなかったのです。姉様は夜毎どのように求められ、どのようにいとおしまれているのかと」
「馬鹿な」
「荒唐だとお思いになる?けれどこれが真実ですわ。わたしはどうしても確かめたかった。知りたかったの」
「分からん。なぜだ?エレノールを取り返しのつかないほど傷つけると知っていてなぜそんな衝動に身を任せた」
「申し上げましたでしょう、憎んでいるからよ。
あなたが悪いのです、お義兄様。姉様があなたのもとで不幸でさえあれば、わたしは彼女を許したわ。
国に残してきた恋人を想いながら日々泣き崩れて、好きでもない男に夜毎玩具にされていたなら許せたのに、そうではなかった。
姉様は自分が心から愛し、自分を心から愛する伴侶と暮らしている。
あなたの愛撫と囁きで、はっきりそれが分かったの。
だからわたしは拒まなかった。拒めなかったのです。
『わたし』を愛するひとに抱かれるというのがどんなことなのか、それを知りたかったの」
- 280 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 22:57:02 ID:KUyJvC1E
- 書斎に長い沈黙が降りた。
窓から吹き込む微風にインク壷に立てられた羽根ペンが揺れ、後にはまた静けさが戻った。
筋肉の疲労を覚えるほどの長い静止のあと、アランはついに自ら一歩前に踏み出し、義妹の目を見て話しかけた。
「エマニュエル殿、提案がある。いや、懇願だ。あなたが望むなら床に跪きもしよう。
こうしようではないか。
今夜、我々はこの書斎でもどこででも会うことはなかった。
ふたりきりになることは一度たりともなかった。そしてこれからも永劫にない。
繰り返す。今夜、我々の間には何もなかった。よろしいか」
「あなたがそうお思いになりたいのなら」
エマニュエルは柔らかい笑みを浮かべながら応じた。
「わたしにどうして反駁することができましょう?義理とはいえわたしの兄君ですもの」
「感謝する。では―――」
「ただし」
同じ笑みを浮かべたまま、エマニュエルは静かに彼を制した。
「わたしにはわたしの主張がありますわ。
お義兄様が今夜は何もなかったと思いこまれても、わたしが姉様に事実を告げたらどうなりましょう」
「まさか」
「戯れではありませんわ。わたしは今、目の前にありありと思い描いておりますの。
愛する夫に裏切られ、しかも裏切らせたのが妹だと知ったときの姉様の顔を。
あのいつもおっとりとした表情が、どれほどの苦痛に歪むことかしら」
「まさか、本気で言っているのではなかろう。
貴女はそんなことはしない。そんなことは、―――それだけはやめてくれ」
エマニュエルは答えなかった。
椅子にゆったりと腰掛けたまま、何も語らないまなざしで義兄の顔を眺めている。
「俺が裏切ったとどうしてもエレノールに告げたいのなら、酔った勢いで女官にでも手を出したことにしていただきたい。
あれは間違いなく怒り狂うことだろうが、それでもまだその事実には耐えられよう。
これまでのわが素行を省みれば、あれが俺の貞操に全幅の信頼を置いていないことはもとより分かっている。
だが、貴女は違う。エレノールにとって貴女は己が半身のようなものだ。
それほどまで信じ抜いている相手から裏切られたと知れば、あれは下手をすれば精神の均衡を危うくしよう。
それだけは避けねばならん。
エレノールに俺の悪評を吹き込むのはいい。だが貴女自身が悪意を体現するのだけはやめてくれ」
「分かっていらっしゃらないのね、お義兄様」
「何のことだ」
「あなたが姉様の心の安寧を思っておことばを尽くせば尽くされるほど、わたしは姉様が憎くなりますの。
もっと無慈悲に傷つける術を、どこまでも追い求めたくなります」
- 281 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 22:58:36 ID:KUyJvC1E
- アランはことばを失ったように義妹を見た。
ふたつの黒い瞳は相変わらず宝玉のような輝きを保ち、なんの翳りも不穏も見当たらなかった。
だがひとつだけ、彼に分かったことがあった。
初めてエマニュエルと対面した宴席で、彼女とエレノールを決定的に分かつものと思われた瞳に宿る力
―――秘した情熱だと彼が見なしたものは、正しくは憎悪の炎だったのだと、いまようやく気づいたのだった。
憎しみや怒りをもつことは誰にでもできるが、その衝動を維持し対象物を追いつづけることには力が要る。
それはエマニュエルのような聡明で自制心のある人間にしかできないことだ。
だが、とアランは思った。
彼女がいま述べたことが本当に動機のすべてなのか。
彼女が怒りを向けている相手は、理不尽な復讐を遂げたいと願っている相手は本当にエレノールなのか。
彼には分からなかった。
しかし自分の要請が受け入れられなかった以上、アランには言わねばならぬことがあった。
それは王室の秩序を守る国王の長子としての義務でもあった。
「それでは、まことに残念だが、エマニュエル殿」
アランはわずかに唇を噛んだ。
妹を溺愛しているエレノールの心中を思えば、これは間違いなく残念な選択だと思いながら。
「明朝までに貴女にはこの離宮を退去していただく。
そして一週間以内にわが国を去るように。
これはガルィアの王太子としての命令だ。わが領土内においては、主権は常にこちらにある。
レマナから最も近い国境の関門までは護衛隊をつけよう。一週間は猶予期限としては十分なはずだ」
「冷酷なかたね。姉様のお気持ちを考えないの?」
「エレノールには、貴女が俺に対して礼を失したとだけ言っておく。
弁護の機会くらい与えてほしかったとあれは抗議するかもしれんが、それぐらいの衝突はやむをえまい」
「礼を失した、ね。言い得て妙ですこと。その後のことは思いを巡らしていらっしゃる?」
「貴女は貴女の家庭に戻り、俺たちはまた俺たちの生活に戻る。それだけのことだ」
「それだけでなかったら?」
エマニュエルは相変わらず平坦な声で問いかけた。
だがその裏側には奇妙な軽やかさが感じられ、アランは思わず義妹の顔を凝視した。
- 282 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 22:59:57 ID:KUyJvC1E
- 「俺がそれだけと言えば、それだけだ。すべてはそこで終わる」
「ヴァネシアに帰った後、わたしが夫に泣きついたらどうなりましょう。
レマナでの静養中、招かれた先のガルィアの王太子に関係を迫られた挙句乱暴をはたらかれたと。
そして姉様にも文を送り、あなたがどうしてわたしを早急に追い払いたがったのかを説いたなら」
「馬鹿な、―――何の証拠がある」
「あなたがつけていらっしゃる指輪」
エマニュエルは思わせぶりに義兄の左右の手に目を転じた。
「ひとつだけ、少なくなっていると思われませんか。
ガルィア王室の紋章が小さく刻まれた、黄金の指輪ですわ」
このような、と言う代わりにエマニュエルは彼の眼前に実物をかざして見せた。
アランの顔は怒りのために紅潮を通り越して青白くなった。
「この指輪を代償として差し出しがてら、わたしに同衾をお求めになったというのはどうかしら。
恋文を作成してもいいわね。
わたしを離宮に呼び寄せるために発行してくださった正式な招待状のおかげであなたの筆跡も存じておりますし」
「貴様、―――貴様は盗賊にももとる下郎だ」
「窃盗に当たると思われるなら、お借りしている間の代価は金貨でお支払いしますわ。
ですがあなたもいささかご注意に欠けておいでではありますまいか、お義兄様。
すばらしいご愛撫に感謝を示してわたしがあなたの指を吸っている間、
指への圧迫が少しだけ軽くなったことに気づかれぬのですもの」
「黙れ。何が代価だ。早くそれをよこせ。
返さぬというなら力に訴えるまでだ」
「動かないで。そこから一歩でもわたしに近づいてこられたら、渾身の叫びをあげますわ。
いくら王太子殿下の書斎とはいえ、王太子妃と思われる女の悲鳴がなかから聞こえたら、
衛兵たちとて手をこまねいているわけにはいかぬでしょう。
そして今夜起こったすべての事実が白日にさらされるのですわ」
「貴様、―――」
「それにお義兄様、よくお考えくださいませ。
たとえ何の証拠がなくとも、世間はこのような場合女の声に耳を傾けるものでございます。
一生の汚点、一族の不名誉になると分かっていて、わざわざ捏造してまで陵辱されたと訴えたがる人妻がいるものでしょうか。
しかもそれが一国の主の妃なのですもの。
よほど『本物の』屈辱感に突き動かされない限りそんな挙には出ないものだと、みなが考えるはずですわ」
アランは口を開きかけて、また呑み込んだ。
義兄の思慮を推し量ろうとするかのように、エマニュエルは椅子を降りて自ら彼に近づき、
その涼やかな褐色の瞳を下から覗き込みながらゆっくりと囁いた。
- 283 :花影幻燈(前篇):2008/08/31(日) 23:02:02 ID:KUyJvC1E
- 「あなたはこうお考えかしら。
わたしが帰国して夫に誹謗中傷を吹き込んだところで、さすがにそれが戦火を招くということはない。
ガルィアとヴァネシアはこれまで敵対したことはないし、
いくら東西の富が集まる地とはいえ、傭兵をかき集めて国を守備させている一都市国家のヴァネシアが
ガルィアのような大国に戦を仕掛けるなど無謀な振る舞いに出るはずがない」
「―――違うというのか」
「いいえ、そのとおりですわ。ことに我が夫は火薬の匂いを嗅いだだけで気分が悪くなるほど怯懦な
―――いえ、『平和的な』と申しておきましょうか、そのような人物ですから、
まちがっても妻の名誉のためだけに国運を賭けるような真似はいたしますまい。
けれど、あなたご自身の名誉はどうかしら」
義兄の胸に指を這わせながら、エマニュエルはかすかに微笑みを浮べた。
それはすでに答えを知っている者の問いかけだった。
「もちろん、あなたはそれにこそ思いを馳せておいでですわね。
わたしが帰国してから姉様に出す手紙は、ガルィアの宮廷内で厳重な検閲体制を布いておけば
姉様の手に届く前にことごとく焼却処理できるかもしれません。
けれど、東西貿易の要たるわが国から発せられた風聞は、どうしても諸国に流布されずにはいないのです。
それが王侯たちの醜聞であればなおのこと。
遠からぬうちにヴァネシアの民はもとよりガルィアの貿易商の耳にも届きましょうし、
やがてはスパニヤ王家にも伝奏されましょう。
言うまでもなく、わが生国は貴国とは数代にわたる友邦です。
このようなつまらぬことであなたの人品に対するわが父王の疑惑を招き、同盟関係に亀裂を入れたくはありませぬでしょう。
さらに言えば、スパニヤに届いた風聞はどうあってもいずれは姉様の耳に届きます。
生国と密書を交わすのは、異国に嫁いだ王女の宿命ですもの」
エマニュエルはふと脇を向いた。
ひとりでつづけざまに語りすぎたからか、執務机の上に置かれていた水差しを取って一対の瑠璃杯に注ぎ、
ひとつをアランの前に置いてからもうひとつを口元に運ぶと、こくんと小さな音をたててこの土地特有の名水を飲み干した。
その小さな咽喉元がわずかに動くさまを見ながら、アランは同じ場所から一歩も動けずにいた。
「何が望みだ」
かすれきった義兄の声を案ずるように、エマニュエルはさらに一杯ついで器を差し出したが、
当然のごとく彼はそれを押しのけた。
「言え。一体俺に何を望んでいる」
「難しいことではありませんわ。
まして、貴国の国益を害する陰謀などではありません」
つまり」
エマニュエルは瑠璃杯を机に置き、ふたたび義兄に顔を近づけた。
その可憐な唇からは、やはり甘美なジャスミンの香りがした。
「姉様に対する共犯関係を結んでいただきたいということですわ。わたしがここにいる間じゅう。
出立の前夜には、指輪は必ずお返しいたします」
アランは目を閉じた。
これ以上妻に瓜二つな悪鬼の顔を見つめていたら、文字通り正気が失われるかもしれないと思った。
その危惧を知ってか知らずか、エマニュエルはいっそう顔を近づけ、とうとう唇が彼の耳たぶに触れんばかりになった。
そして神託のように告げた。
「慰み者に、おなりなさいませ」
(続)
- 284 :名無しさん@ピンキー:2008/08/31(日) 23:18:39 ID:QUzoqxGK
- ほぼリアルタイムktkr
……しかし、後味苦すぎ。覚悟はしていたが…。
後編で、どうにかアランには巻き返してほしいなぁ。
- 285 :名無しさん@ピンキー:2008/08/31(日) 23:54:58 ID:kyF78Cyx
- GJ
エマニュエルの悲しい悪女っぷりがいいね
作者さんの書く人物像は深くて引き込まれるなあ
後半も待ってるよ
- 286 :名無しさん@ピンキー:2008/09/01(月) 00:36:01 ID:n+el3uQH
- >>265
このスレにはあなたのような優れた書き手がいる、それは希望だ。
まあ、それはさておきGJ ここまで嬉しくないというか、重いラブシーンは久しぶりです。
このまま話が二者間で終わるのか、あるいはエレノールも絡んでくるのか、後編への興味が尽きません。
- 287 :名無しさん@ピンキー:2008/09/01(月) 05:37:56 ID:et9jtd7r
- 続きが読みたいようなそうでないような、ひどいジレンマだぜ!
エレノールが泣くような事態にだけはなりませんように……!
- 288 :名無しさん@ピンキー:2008/09/01(月) 09:42:10 ID:S98z9nTI
- かつてない程に重く、暗雲の立ち込める展開!
王太子夫妻、ひいてはガルィア王国に降りかかった最大の危機か?
エマニュエルの業の炎にこのまま焼き尽くされるのか、アラン?
待て。しかして希望せよ……GJ!
- 289 :名無しさん@ピンキー:2008/09/01(月) 09:57:13 ID:L1JehJPy
- アランとエレノールは勿論、妹姫にも救いのある結末になって欲しいなぁ。
エレノールと瓜二つだと思うとなおさら。
誰の心にも傷が残らない終結なんて無理そうな展開だけれど。。
とにかくGJです。
長くても一気に読ませてしまう筆力はいつもながら感心。
後編が待ち遠しくてなりません。
- 290 :名無しさん@ピンキー:2008/09/01(月) 21:42:43 ID:O3CSWuGn
- ふとエマニュエルとアンヌで策謀合戦を交わしたら、どちらに軍配が上がるんだろう・・・と思った。
(いずれ劣らぬ明晰さと目的のためには手段を選ばない行動力の持ち主なので)
イザベル(エレノールの侍女)がアンヌばりの洞察力や胆力、知力を備えていたら、
こうした事態は未然に防げたろうに・・・と惜しまれてならない。
いつも幸せで楽しく結ばれるシリーズなので、この展開は新鮮でした。
続きも楽しみに待っています。
- 291 :名無しさん@ピンキー:2008/09/01(月) 22:09:25 ID:jqX/znpD
- 何故かエレノールは第一王女だと思っていたw
わっふるわっふる
- 292 :名無しさん@ピンキー:2008/09/02(火) 06:34:10 ID:Doi7wY73
- 長兄夫婦話は大好きなのだが・・・
今回は苦い〜
最後は笑顔のエレノールであってほしい。
いつもながら作者様の筆力は本当に素晴らしい・・・GJです!
後編楽しみです。
- 293 :名無しさん@ピンキー:2008/09/02(火) 07:28:42 ID:m3+FwreF
- む…胸が苦しい!
普段ほのぼの(?)してるだけに余計に!
作者さん早く続きを〜
- 294 :名無しさん@ピンキー:2008/09/03(水) 20:21:15 ID:gUrpcI4O
- 初読は妹姫の極悪ぶりに長兄夫妻が気の毒でならなかったけど、エマニュエルの視点で再読すると、
「容貌も血統も僅差なく、聡明さでは劣る女」から幸せぶりを聞かされ続けた(それも当人には全く悪意がなく
無邪気さゆえ妹の境遇や心境を推し量れない)としたら、律していた憎悪が噴出するかもしれないな、と感じたり。
いつもながら、本当に人間描写が巧みで引き込まれますね。
後半では、「バッドエンドではない」という作者様の言葉を信じて、
>彼女が怒りを向けている相手は、理不尽な復讐を遂げたいと願っている相手は本当にエレノールなのか
が、解き明かされるのを心待ちにしています。
- 295 :銀と橙 前書き:2008/09/07(日) 16:45:21 ID:jN0QPbLF
- 保守代わりに投下。
神が来るまでのヒマ潰しにでも…。
エロなし。姫前半のみ。
携帯+初投下ゆえ見づらかったらすまん。
思い切って投下っ!
- 296 :銀と橙@:2008/09/07(日) 16:47:12 ID:jN0QPbLF
- 「――そのお話は、お断り下さい」
窓の外を眺めたまま、淡いオレンジ色の髪が眩しい彼女は、柔らかくも芯の強い声で答えた。
「はっ……、ですが姫様。領土や文化的発展は若干見劣り致すかもしれませんが、
わが国との友好関係も長く、何より平和と品位を重んずる国民性は姫様の……」
「――宰相、わたくしに二度も同じことを言わせないで下さる?」
宰相が姫の居室に入ってから初めて、彼女は景色から視線をはずし宰相を見やった。
「国王夫妻に伝えなさい。お父上お母上の末娘を案ずる気持ち、とても有り難く存じますが、
最初にこの婚姻を決めたのはあなた方であり、それを受諾したのはわたくしです。
多少かの国で動乱があったからと言って今は鎮圧され秩序を取り戻しつつありますし、
わたくしはなんの心配も致しておりません」
口調はあくまで柔らかいものなのに、言葉の端々に鋭い棘が混じる。
いつもは潜められている激しい気性が静かに燃え上がり、
王族にしか出せないであろう気品が硬質とも言えるほど彼女の周りを取り巻くと、
国王の片腕として長きにわたって国政を支えてきた宰相である彼でさえ逆らいがたく、息をのむものがあった。
- 297 :銀と橙A:2008/09/07(日) 16:48:25 ID:jN0QPbLF
- 「――わたくしはナザル国に嫁ぎます。他のどんな縁談も、どんな説得も徒労ですわ」
「…………。――わかりました」
今まで散々、様々な立場の者が彼女を説得してきた。
お付きの侍女から始まり、侍従長も国政に参加する兄たちも、果ては他国に嫁いだ姉たちも説得に手紙を寄越した。
しかし、頑として末子の姫はその首を縦には振らなかった。
近しい者たちの説得も、他国からどうにか掴んだ数多の縁談も、彼女の前では何の意味もなさなかったのだ。
ほとほと疲れ果てた国王と妃は、最後にこの辣腕の宰相を送り込んだのだった。
「……陛下と妃殿下には、その御意志をきちんと伝えましょう。しかしその前に、ひとつ」
姫の一瞬ほっとして緩んでいた緊張の糸が、再び張り詰める。
「最早、銀の王子――フェルディナント王子はあなたの知るかの方とは全く違うかもしれません。
それでもリリア王女、あなたは嫁ぐのですね」
「――もちろんですわ」
そう言った彼女をじっと見つめると、宰相一礼しは姫の居室を後にした。
護衛の兵士が――今は専ら突然の逃走を阻止する、見張りに近いのだが――
ドアを閉める音を背後で聞きながら、宰相は長い廊下をゆっくりと進む。
- 298 :銀と橙B:2008/09/07(日) 16:54:30 ID:jN0QPbLF
- 懐にそっと手を入れ、ハンカチに包んであった小さな紙片を取り出した。
そこには小さな文字でびっしりと何かが書き記されており、最後に小さく署名が見える。
彼はそれを粉々に千切ると窓際に歩み寄り、丁度開いていた小窓から撒き散らした。
ひらひらと舞い散るその様を見ながら、彼は一つの景色を思い出す。
友好国ナザルの弟王子と、彼を慕うまだ幼さ残るエデラール国末子の姫。
ともに学び、幼くとも確かな信頼とお互いを思いやる気持ちを育んでいった。
今、『彼』はその絆を試そうとしている。
ナザルの王弟一族が起こしたクーデター。
処刑された国王夫妻と王太子に代わり彼らを打ち倒したのは、銀の仮面で顔を覆い現れたフェルディナントであった。
学問に秀でてはいたものの、宮廷政治にも軍の率い方にもぱっとしたものはなかった第二王子。
けれど宮廷内、軍内部の力関係を把握した上での見事な采配は、感嘆を通り越し、周囲の者に畏敬の念と一抹の疑心を与えた。
外さない仮面、クーデター後一時的に行方不明であったという事実、そして城内の幽霊騒ぎが彼の存在性を疑わせ、そして皮肉なことに彼を神格化させていった。
- 299 :銀と橙C:2008/09/07(日) 16:56:02 ID:jN0QPbLF
- エデラール国としては、フェルディナントかわからない、突き詰めれば王族の正統な血を引いているかわからない彼を王にすることは許し難い。
けれど、これで三度(みたび)混乱の最中に投じられたら、ナザル国はもちろん、
かの国が持つ鉱物資源と貿易港に依存するエデラール国も危うい状況になる。
リリアが嫁げば、ナザルは安定への第一歩を確実にするだろう。
しかし、もし仮面の中が全く違う人物であったら。
もし本人だとしても、銀の仮面で顔を覆うなど不可解すぎる。
娘を持つ親としても国を背負う為政者としても、エデラール国王は揺れていた。
……宰相が破り捨てた紙片は、事の真相を明かす唯一の手がかりであった。
それさえあれば末娘の結婚は疎か、エデラール国のナザル国への対応もはっきりと定めることができただろう。
ただ、辣腕の宰相は何を思ったかそれを破り捨ててしまった。
今はもう、彼の素顔を見るほかに道はない。そしてそれが一番可能なのは、未来のナザル国王妃――リリアだけである。
――『もちろんですわ』。
その言葉と表情に託してみようと思う。固い意志とその覚悟に。
リリアと話すまで感じていた迷いはもうない。
- 300 :銀と橙D:2008/09/07(日) 16:57:01 ID:jN0QPbLF
- 退室間際に見た彼女の顔が、不思議と大丈夫だという確信を与えていた。
迎えに来た侍従に促された先にある大きな扉。その向こうには昔馴染みの男がいる。
互いに背負うものは多くなってしまったが、その分培った関係がある。
――おまえの娘はきっと幸せになる。
幸せになるだけの力もある。
心配するな――
宰相は一呼吸おくと、開かれた扉の中へと一歩踏み出した。
銀の王子とオレンジの王女が手を取り合う、その日を夢見る始まりの一幕。
(了)
- 301 :名無しさん@ピンキー:2008/09/07(日) 18:46:33 ID:lvJ3WsU1
- 早く続きを!続きを書くんだ!!ハァハァ
- 302 :名無しさん@ピンキー:2008/09/08(月) 02:41:27 ID:+xRG+8a2
- 凛とした姫様GJ!
続き楽しみにしてます
- 303 :名無しさん@ピンキー:2008/09/11(木) 01:40:29 ID:KUGjd+3p
- アラン
やっちまったなぁ!!
- 304 :名無しさん@ピンキー:2008/09/11(木) 08:09:15 ID:sM92qhxs
- 「男は黙って」「土下座!」
- 305 :名無しさん@ピンキー:2008/09/12(金) 03:34:19 ID:iAY02gAK
- それフツウだよ…
- 306 :名無しさん@ピンキー:2008/09/13(土) 01:56:31 ID:5G97x9/X
- 続き待ち保守
- 307 :名無しさん@ピンキー:2008/09/14(日) 08:00:15 ID:eZiKuJUC
- 本当このスレはエロパロ板中最高だな
みんなクオリティが高すぎる
- 308 :名無しさん@ピンキー:2008/09/15(月) 19:46:07 ID:mvAPSxMb
- そろそろあげとくか。
- 309 :名無しさん@ピンキー:2008/09/20(土) 19:07:17 ID:tGubXUEY
- で、エロい姫は何処におられるか
- 310 :名無しさん@ピンキー:2008/09/20(土) 21:17:37 ID:QoDNyHhm
- シャルロット姫→Σ( ̄□ ̄;)ガーン↓
http://imepita.jp/20080920/291500
・
- 311 :名無しさん@ピンキー:2008/09/24(水) 01:03:58 ID:1ZMFYkFi
- ageとく
- 312 :名無しさん@ピンキー:2008/09/24(水) 21:26:52 ID:W+LQMh6q
- sageとく
- 313 :名無しさん@ピンキー:2008/09/27(土) 17:49:05 ID:R2+99A1R
- 征服系で、蛮族王子×貴族令嬢の長編物投下します。
暗い要素多め、微欝、微グロ。ただし鬼畜と見せかけてボーイミーツガール的な和姦物。
女の台詞=上品で丁寧な貴族英語、男の台詞=訛りやスラング満載の田舎英語、
みたいなもんだと脳内変換してどうぞ。
- 314 :いぬのおひめさま(前編):2008/09/27(土) 17:50:01 ID:R2+99A1R
-
「近寄らないでください!」
空を切り裂いた鋭い平手が、しかし虚しくも受け止められる。
「おーおーつれないねぇ、お姫様は」
そのまま暴れる女を軽々といなし、男は軽薄な笑いを漏らした。
時は帝国暦の414年。
帝国の南の要であり、祖帝による大陸統一時からの名城だったゼズ城は、
今まさに建国以来の未曾有の変事に晒されていた。
南方の蛮夷、オルブ族。
中央の民からは赤鬼(せきき)とも蔑称される、粗野で野蛮な未開人達が、
大挙して南方のヴェンチサ要塞に押し寄せるとこれを陥落、
そのままの勢いでヴェンチサ地方の領主館であるこのゼズ城を攻め立てたのである。
ヴェンチサ侯フェリウスは猛将として知られる英傑であり、
過去20年間、幾度にも渡ってヴェンチサ要塞の防衛に成功していた戦上手だったが、
それでも今回は持ちこたえるべき要塞の陥落があまりにも早すぎた。
慌てて兵を集め、ヴェンチサ要塞とゼズ城の中間地点にて迎撃のための陣を敷くも、
急ごしらえの編成と行軍が祟ってか、
敵重騎兵の怒涛の攻勢に半挟撃状態から全軍潰走したのがこの春の終わり。
フェリウスは残った兵約3000を率いてゼズ城に篭城したが、
救援の援軍を待たずして敵包囲による補給遮断を受け精神的に追い詰められていき、
起死回生を狙って打って出るもあえなく敗死の憂き目となった。
――とまあ、『帝国の側から記述するのならば』このような書き方になるのだろう。
ともかくそうやってフェリウスが討たれ、ゼズ城が陥落したのが十日程前の出来事だ。
「っ、離して!」
掴まれた腕を振りほどいた拍子に、美しい鳶色の髪がふわりと揺れる。
その持ち主こそヴェンチサ侯フェリウスの妻、リュケイアーナ・オル・ペレウザ・ウェド・ヴェンチサ。
三ヶ月にも及ぶ篭城戦の直後だけあり、
装いは本式の喪装にはほど遠く、髪もやや肩に掛かるほどに伸び放たれていたが、
内側から滲み出る貴人の気迫は翳りを押して尚強く、
白磁のごとき美しき肌は、青白いどころか憤怒にほんのりと朱くさえあった。
- 315 :いぬのおひめさま(前編):2008/09/27(土) 17:51:19 ID:R2+99A1R
-
「たとえ落ちぶれようとも、私はペレウザ家の娘、帝国はヴェンチサ侯爵の妻です」
ただ亡将の妻という肩書きを差し引いても、その姿は悲壮の一言だ。
御歳わずか19。
齢は50の手前、海千山千な老練の極みだったヴェンチサ侯フェリウスの妻にしては、
あまりにも彼女は若すぎた。
「蛮夷に辱めを受けるくらいならば、自ら命を絶つ方を選びます」
護身用の懐剣を自らの胸元につきつけた手が隠しようもなく震えていても、
誰にもそれを責められはしない。
そういう時代だったのだ。
女は剣を持てず、政治に口出しできず、内助の功に尽くすことこそが美徳とされていた。
懐剣を握る手つきがまるで素人だったとして、誰がそれをなじれよう。
「ですがお願いです。我が臣下、領民の厚遇を保障してくれるのならば――」
「いや、死ねないだろそれじゃ」
そして男の軽口は、そんな彼女の覚悟を踏み躙る。
「そんな細腕と中途半端な刃じゃ、胸や腹なんか突いたってまず死ねねーぞ?
せめてやるんなら手首か首筋にしないとな」
「…ッ!?」
ハッとした表情で胸元の懐剣を確認する女を前に、男が悠々と一歩踏み出す。
「や、ち、近寄らないでと言いましたッ!」
それに過剰に反応して、震える腕で切っ先を自分から男へと向け直すが、
男の歩みが止まる気配はない。
「…し、舌を、舌を噛みます! 噛みますから!」
「…勘違いしてないと思うけどな、舌噛んで死ぬのって激痛で憤死とかそういうのじゃないぞ?
噛んだ舌上手く喉に詰まらせて、窒息できないと無駄に痛いだけで死ねないかんな?」
「!!」
狼狽と共に、後退りする背中が窓枠にぶつかる。
平然と間を詰めてくる男を前に、窓枠がカタカタと小刻みな音を立てた。
「…いや……来ないで……こないで……」
懐剣を構えたままの少女に対して、とうとう男が真正面に迫る。
黒ずんだ褐色の肌に、血の色のように赤い髪、濁った黄土色の目。
どれも帝国の主教である太陽神信仰においては邪悪で不吉とされる色合いであり、
同時にそれが一般的なオルブ族の容姿容貌だった。
腐っても帝国の貴族階級、太陽神信仰の影響を強く受けて育ってきた少女にとって、
どうしても生理的恐怖が先立つのも無理はない。
なにせ聖典の中に語られる、鬼や悪魔の姿そのものなのだ。
- 316 :いぬのおひめさま(前編):2008/09/27(土) 17:51:53 ID:R2+99A1R
-
だからこそ、激昂もした。
「もうやめなって」
「……ッ!」
鬼であり悪魔であるはずの相手が、憐れみの目で彼女を見るのを見た時、
彼女の中の何かが弾け飛んだ。
「殺せねーし、死ねねーよ。そんな剣の握り方一つ知らない細っこい腕じゃ」
「――口を閉じなさい下郎ッ!!」
叫んで、懐剣を振り上げて。
……それでも振り下ろすことが出来なかった。
「……っ」
殺めるだけの大義名分はたくさんあった。
相手は彼女の夫を殺した。相手は帝国の民を殺した。
男は敵の司令官だ。彼女は領主の妻だ。
相手は卑しい蛮族であり、知性の欠片もない人畜にも劣る野蛮人なのだ。
人間ではない。鬼だ。悪魔だ。異教徒だ。
だが。
「…なぁ、あんたはもっと賢いだろ?」
「……う、ぁ」
彼女の手の内の懐剣が、ゆっくりと絨毯の上へ転がり落ちる。
全身の力が弛緩して、無様に床へとへたり込んだ。
そうだ、彼女はそこまで愚かではない。
真実を知る機会を与えられず、都合のいい知識と歴史だけを教えられた民草とは違う。
「俺らが本当に同じ人間じゃない、鬼か悪魔だなんて信じてる?」
政略の道具たる女の分際で、
政治や歴史、神学に興味を持ってしまった、愚かでいられなかったのが少女の罪だ。
「…男は殺す、女は犯す、子供や年寄りも容赦しない、村は焼き払って財産は奪う。
邪神を崇めてて、人間を生贄に捧げる儀式をしてる、赤い髪や黒い肌はその証拠」
答えは明らか、少なくとも少女は気づいている。
「…そんな与太話、本気で今でも信じてるのか?」
「あ……あ……」
そうやって民に流言を吹き込んで脅しつけなければならないほど、今のこの国は歪んでいる。
そうしなければ北夷や南夷に対抗出来ないほど、この国の威力は衰えている。
- 317 :いぬのおひめさま(前編):2008/09/27(土) 17:52:15 ID:R2+99A1R
-
「ひ……ぐ、ぅっ……」
喉が引き攣り、気がつけば涙がとめどなく頬を伝う。
男の態度と言葉が破壊槌のように、容赦なく少女の心を打ち砕いていた。
信じていた。
信じていたかった。
でももう信じられない。盲で居続けることは許されない。
彼女達は負けた。
悪だと信じ続けていた相手が実は悪ではなかった。
では何のために自分達は戦って来たのか?
何のために民は苦しみ死んだのか。
彼女が耐え続けてきた苦痛、受け続けてきた責め苦に、一体何の意味があったのか?
空虚で。
果てしなく空虚で。
「…男が怖いか?」
ビクリと身を竦ませる少女の身体が、そのままぐいと抱き寄せられる。
そんなことをする人物は、少なくともこの部屋の中に一名しかいないはずなのだが、
「泣けよ」
抗う気力も、逆らう覇気も、今の少女には存在していない。
それがどういう不義なのか分かっていても、熱さを増す目頭の潤みは止められない。
「泣いちまえって、それくらいは神様だって許してくれるだろ」
言葉は優しく、神をも語る。
肌に感じた相手の身体は、同じ人間の熱く血の通った暖かさだった。
「あんたは十分頑張ったよ」
「……ひぅ」
ぎう、と男の胸にしがみついて、小さな子供のように泣きじゃくりだす。
嫁いで来て四年、誰も言ってくれなかった言葉がそこにあった。
- 318 :いぬのおひめさま(前編):2008/09/27(土) 17:52:43 ID:R2+99A1R
-
言いたいことはただ一つ、腐らぬ国はないという話だ。
むしろ一つの王朝が400年も続いてるという時点で、察しのいい歴史家なら気づくべきだろう。
「落ち着いたか?」
「…………」
寝台に並んで腰掛けながら、手渡されたハンカチでぐしょぐしょの顔を拭いつつ、
幼き元侯爵夫人は暗澹たる気持ちで己の軽率さを恥じ入った。
いくら非常事態の最中とはいえ、夫以外の、それも敵であり蛮族である男の胸に伏して
取り乱し泣き崩れるなど、およそ貴人のすべきことでない。
しかも男は『卑しい蛮族』でありながら、
そんな彼女に暴力を振るうわけでもなければ、強引に寝台に押し倒すわけでもなく、
嗚咽が止むまで背中を擦り、ハンカチまで差し出してくれたのである。
…範疇外にも程がある。
頼みの綱である侍従や侍女達も、今は男の手により人払いされてこの場にない。
自分の知る貴族社会の礼法や慣習を可能な限り思い返してみたが、
この場合取るべき適切な行動というものを、少女はどうしても見つけられなかった。
そんな中で男の方から行動を起こしてくれたのは、彼女にとっての僥倖だ。
「やめてください、子供ではないのですから!」
まるで幼児か動物にでもするように、
ポンと頭に乗せられた手がくしゃくしゃと自分の頭を撫で回すのを受けて、
少女が反射的にその手を払いのける。
そうして次の瞬間、自分のしてしまった失態に僅かにその身を強張らせた。
通常であれば無作法と謗られ、相手の機嫌を損ねてもおかしくない行動である。
が。
「あ、わりーわりー」
「…………」
…それでも男が彼女の思い上がりを責める風でもなく、
例によっての軽薄なニヤニヤ笑いを続けているのを確認するに及んで、
ようやく彼女にも多少の余裕が生まれてきたらしい。
「……何をしに来たのです。こんな夜更けに、惨めな未亡人のところへ」
出来る限りそっけなく、抑揚のない声で言ってみる。
- 319 :いぬのおひめさま(前編):2008/09/27(土) 17:53:26 ID:R2+99A1R
-
「そりゃーお前、男がこんな夜中に女の部屋に来るっつったら、一つしかないだろうがよ」
「…………」
ぽむぽむと、非常に馴れ馴れしく喪服の肩を叩かれた。
沈黙。
困惑。
「……だったらお望み通り、疾く私を組み敷き穢せばいいではないですか」
言って、ちらりと男の体躯や二の腕を垣間見る。
…どれほど控えめに見たとしても、華奢な文官や貴公子の細腕には見えはしない。
彼女を力ずくで押さえるくらい、男にすれば朝飯前のはずだ。
「古来よりの戦場の習いを分からぬほど、世を知らぬ子供ではないつもりです。
温情を施されるつもりはありません、存分にご自分の獣欲をお満たしくださいませ」
挑発の意味合いを込めて、皮肉の一つも言ってみる。
媚び、心まで売り渡すつもりは毛頭なかった。せめてそれぐらいは――
「いや、それじゃつまんないだろ」
「……は?」
思わず間抜けな声を上げる。
「そりゃ力ずくで押し倒して、無理矢理犯すとかも出来るだろうけどさ。
でもそれじゃ、あんたの身体は手に入っても、心までは手に入らないよな?」
「…………」
それは、確かにその通りだが。
「大体、泣き叫ぶ女を無理矢理手篭めにしたって弱い者いじめと大差ないだろ。
そういうの俺好きじゃないんだよね、フツーにチンコ萎えてくるっていうか」
「……要するに。一体何をご所望なのです?」
床に目を落としたまま、少しイライラしながら聞いてみる。
そうして後悔した。
「いや、なんつーかこう、出来れば勝者とか敗者とか抜きにして、そっちの方から、
『きゃーステキ濡れちゃう、抱いて!』な風に来てくれるのが嬉しいっていうか……」
「…………」
「……ア、アレ? ナニソノ絶対零度の目?」
- 320 :いぬのおひめさま(前編):2008/09/27(土) 17:54:18 ID:R2+99A1R
-
…初めてまじまじと、男の頭の天辺からつま先までを舐めるようにねめ回した。
およそ淑女のすべきではない、破廉恥この上ない行為だが、それはこの際やむを得まい。
「…貴方、馬鹿ですよね?」
口を突く言葉も、もはや皮肉を通り越して完全に罵倒だ。
これで相手が怒りで顔を青黒くして『誰に向かって口を利いている貴様!』とでも
言ってくれれば、彼女としてもまだ気が楽だったのだが。
「ん。よく言われる」
嬉しそうに照れ笑いを浮かべる、それが男の返した反応である。
…呆れるを通り越して、何か珍獣でも見るような目に女の目が変わった。
「…本当に司令官なのですか? 実は一兵卒とかではなくて?」
まず、冷静に見てみると非常に若い。
彼女より数歳上な程度、どれだけ高く見積もっても30を越えてはいないだろう。
一軍の将を任されるには、あまりにも歳が若すぎる。
「ん、一応な。あんまり乗り気じゃないんだけど、今日付けでそういうことになった」
身の装いにしたとて、蛮族だという事実を踏まえたとしても酷い。
丈の足りず腹の出たシャツに、飾り気の欠片もない革のズボン、腰に帯剣もしていない。
馬番の小僧や農民の子だとしても通用するだろう、
人の上に立つ者の装いではなければ、夜分に女の部屋を訪ねる服装でもなかった。
「てかそういうアンタだって侯爵夫人って貫禄じゃないだろ、チビ」
「ちっ!?」
そして礼儀作法の片鱗もなくゴロリと寝台に寝転がった男の言葉に、さしもの少女も絶句する。
言わんとする所は身に覚えもなくはないが、しかし『チビ』はないだろう。
罵声や侮辱すら通り越して、もはや子供の悪口だ。
「フェリウスの爺、確か50近くだったぞ? まさかその成りで30過ぎだとか言う気もないよな?」
「……私は、あの人の四人目の妻ですから!」
「んー、知ってる」
カッとなって怒鳴りそうになるのを、必死で押さえ込みつつ抑揚無い口調を保つ。
何しろ相手は蛮族なのだ、帝国側のマナーを期待するだけ徒労だろう。
堕ちても貴人の身代らしく、寛容な心で接しなければと、繰り返し自分に言い聞かせる。
「んで、その件についてちょっと頼みがあるんだけど」
「……なんですか?」
久しく忘れた感情のうねり、一体何年ぶりの激昂なのかにも気がつかぬまま、
「脱いで」
「ばっ!?」
でも、流石にこれはプッツン来た。
- 321 :いぬのおひめさま(前編):2008/09/27(土) 17:54:48 ID:R2+99A1R
-
「だから! 脱がしたいなら存分に服を引き裂けばいいでしょう!?」
腕ずくで穢されたとか、民や子らを人質に取られ脅されてとかならまだ分かる。
が、繰り返すが何処の世界に好んで簒奪者に身を許し、心を許す妻がいるというのだ。
彼女は娼婦ではない。姦婦や毒婦になるつもりもない。
「汚したいのなら力ずくで陵辱なさったらどうです! 人を侮辱するのもいい加減に――」
「……地下の拷問部屋見てきた」
「――!!」
つもりはない。
「爺の部屋にある、変態臭い道具の勢揃いもだ」
つもりはないのだ。
「昔からの従僕に聞き出したぞ?」
「…………」
時が止まった彼女の目の前で、むくりと男が身を起こす。
「『病に臥せった挙句』? 『不慮の事故で』? よくもまあしゃあしゃあと。
二人目は首括って、三人目は折檻が過ぎて頓死したってのがホントじゃねーか」
獣じみた黄土の瞳に睨まれて、少女は思わず目を逸らす。
…逸らさせるだけの、強さがあった。
「もう一度言うぞ、脱げよ」
飾り気のない、しかし強い調子の賊徒の言葉に、元侯爵夫人はカチカチと奥歯を鳴らす。
「お前にはその義務があるし、俺にはその責務がある」
もしも仲睦まじい夫婦だったなら、こんな脅しには怯みも屈しもしなかったのかもしれない。
「この城を預かった以上、前任がしでかした蛮行確認すんのは施政者の務めだしな」
仲睦まじい夫婦だったなら。
- 322 :いぬのおひめさま(前編):2008/09/27(土) 17:55:26 ID:R2+99A1R
-
全ての良家の婦女子が、しかし『妻』として他家に嫁げるわけではない。
時には最初から『妾』として、あるいは『人質』や『献上品』として送られることもある。
力の弱い家に美しい娘が生まれた場合などは、特に後者の傾向が強い。
「…ひっでぇなオイ……」
角灯の明かりに照らされた裸体を見て、さしもの男も呟きを漏らす。
「…どっちが悪魔だよ、ホント」
「……」
サラサラとした鳶色の髪に、絹のように白く滑らかな肌。
安らぎと穏やかさを感じさせる蒼い瞳も合わさって、さながら人形のような美しさだけに、
そこに刻み込まれた狂気の痕は、尚更その惨たらしさを際立たせていた。
背に、尻に、腹に散らばる、
鞭で打たれた痕と思しき黒ずんだ痣、杖で殴られたと思しき折檻の跡。
左脇腹と右肩の二箇所に至っては、
火箸か何かでも押し当てられたらしく酷い火傷痕まで残されている。
いずれも肩から上や膝から下など、
公的な場で衆目につく可能性のある部分は巧妙に避けて刻まれている辺りが、
陰湿、狡猾極まりない。
そうしてそれらの中で一番直視に耐えかねる代物が、
豊かで張りのある双丘の頂点に施された、さながら乳牛を思わせる二つの輪飾りだ。
「……イカれてんだろこれ」
見ているだけでこちらが痛くなるその様子に、蛮族であるはずの男の声が引き攣る。
痛ましいにも程があった。
戦場での酸鼻、捕虜への拷問の残虐さには見慣れていたはずだったが、
女、それも明らかに非戦闘員な女に対して身内がこんな仕打ちを加えたという事実が、
男の嫌悪感を刺激してやまない。
股座に取り付けられた物々しい貞操帯が、一番まともな常識の産物に見えるのが、
なんとも救われない光景だ。
- 323 :いぬのおひめさま(前編):2008/09/27(土) 17:55:48 ID:R2+99A1R
-
「……これで分かったでしょう」
背を向けたままの少女の声は気丈だが、僅かな震えまでは隠せない。
「これを見てまだ私を犯そうと思えますか? 股座の粗末なものは奮い立ちますか?」
ここに至っては男でなくとも気がついたであろう。
孤高を保つかと見せかけた裏に、滲んだ自虐と自棄の色に。
「私の身体は夫の『モノ』です」
振り返った瞳が輝いて見えたのも、光の錯覚ではないはずだ。
「とっくの昔に。余すところなく」
その目は確かに潤んでいた。
彼女が自覚しているか、認めているか否かは別として。
「……ふざけんなよ」
当然、怒った。
「何が『夫のもの』だよ、何が『侯爵夫人』だよ!」
略奪の経験がないわけではない。
部下の指揮を保つため、仕方なく非道な行為に目を瞑った経験も何度かある。
だが、好んで皆殺しや焼き討ちをした覚えはない。
至らず、力及ばずが故に至善に届かず苦汁を舐めたことはあっても、
進んで女子供をいたぶって、それを喜ぶほど腐ってはいない。
妊婦の腹は割かないし、子供の四肢は切り取らない、女に糞便は食わせない。
「それのどこが妻なんだよ!? まんま家畜や奴隷じゃねーか!」
「……ッ」
粗野で卑俗な蛮族風情に、しかし簡潔に正鵠を射られて、女もただただ奥歯を噛む。
抗弁したいが、出来なかった。
耐えるしかない恥辱と苦痛の中で、それでも狂妄には逃げ込めなかった。
夫のしたことは全て正しくも間違っていないと、叫べるほどには堕ちれなかった。
これでは『貞淑かつ従順な妻』には程遠い。
だから少女は辛苦を噛み締め、男は苛立ちに憤る。
- 324 :いぬのおひめさま(前編):2008/09/27(土) 17:56:26 ID:R2+99A1R
-
「っだぁー、くそ!」
「いっ!?」
叫んで頭を掻いた男に次の瞬間腰へと取り付かれ、少女が僅かに息を呑む。
しかし続けてやってきたのはガチリという音と、股に感じる開放感だった。
「……え?」
同時にガシャリと音を立てて、床の上に落ちる貞操帯。
「……きゃああッ!?」
余りの突然の出来事に、繕った虚勢も剥げ落ちてしまったようだ。
発作的に両腕が胸と股間とを覆い、明らかに頬が赤みを増す。
「…ど、して……」
「押し倒してみたら貞操帯あってヤれませんでしたなんて、アホらしいにも程があるだろ」
一体どこから見つけ出して来たのやら、
くるくると手の内で鉄鍵をもてあそび、ふて腐れたように男が言う。
「その内、その胸の耳飾りも取ってやる。…見てるこっちが痛えかんな」
信じられないものでも見るような目で、少女は男の顔を見上げた。
簒奪者にそこまで施される理由が、本気で理解できなく混乱しているのだった。
「大体なんだ! こんくらいの傷!」
だから目の前の男が上着を脱ぎ捨て、褐色の裸身を彼女の前に晒しても、
ぽかんと口を開けるだけで何もできない。
突き飛ばされるようにして、無駄に豪華で贅の凝らされた寝台に押し倒されても、
事態に思考が追いつけなかった。
「ほら見ろよ! こいつは矢傷だぞ、それとこれもな!」
彼女に跨るよう膝立ちになりながら、筋骨隆々とした己の肉体を指差す。
……少女と違い、肌の色が暗いせいで一見では目立ちにくかったが、
よくよく見ればそこかしこに、戦場でのものと思しき惨たらしい傷が刻まれていた。
「これなんか三年前にお前らんとこの弩兵に鎖帷子ごと撃ち抜かれてな!
めっっっちゃくちゃ痛かったぞ、恥ずかしい話死ぬかと思って泣いたかんな!」
示されるままに左胸の腕の付け根近くを見てみれば、
傷口を焼いて止血した痕だろう、見るもおぞましい肉の盛り上がった火傷痕の姿。
- 325 :いぬのおひめさま(前編):2008/09/27(土) 17:57:02 ID:R2+99A1R
-
「これは横っ腹槍で突かれて馬から落ちた時の傷!
こっちは砦攻めの時に背中から不意打ちで切りつけられた傷!」
そうして他にも大小様々、
帝都の社交界で日々夜会に明け暮れる貴婦人方が見たならば、
即刻卒倒して倒れるような生々しい傷痕を見せ付けた後、
「どうだ分かったか! 俺の方がずっと多いし傷も酷い!」
最後にふふんと鼻を鳴らして、勝ち誇ったかのように胸を張った。
「…………」
絶句。
文字通り手も足も、言葉さえも出ない。
鼻息荒く、勝手にまくし立てて、
か弱い女に見せるようなものじゃない代物をさも誇らしげに誇示した挙句、
何でだか偉そうに自信満々で笑っている。
「…だからそんくらいの傷、全然大した事ないわけだ」
ぽすん、と顔の両脇に手を突かれ、馬乗りに覆い被さられる形になっても、
それだから少女は抵抗の意気を奮い起こせなかった。
「…俺に比べりゃ、屁でもないんだしな」
目の前の男は、殴らない。
ぶたない、罵らない、嘲らない。
見上げる目に、見下ろす目がかち合った。
角灯の光を反射して、燃え盛る硫黄のような輝くそれは、正に悪魔の瞳なのだが、
どうしてか少女は吸い寄せられるよう、目を逸らすことができなかった。
光よりも闇になじむ指が一房、おもむろに散った彼女の髪をもてあそぶ。
そして糸の切れた人形のような彼女の腕を持ち上げると、
ゆっくりと彼女の掌に、自分の掌を重ねてきた。
そのまま硫黄の瞳が降りてくる。
警告の声は、ずっと頭の中で響いている。
彼女は白く、男は黒い。
白、鳶色、青を抱く彼女は、清らで、善な、神の側であり、
褐色、赤、黄土を持つ男は、穢れた、悪たる、悪魔の側だ。
交われば、穢れてしまう。
- 326 :いぬのおひめさま(前編):2008/09/27(土) 17:57:23 ID:R2+99A1R
-
――だが、女は『キス』というものをされたことがなかった。
してもらったことがなかった。
肉棒を咥えさせられ、轡を填められたことこそあったが、
およそ普通の夫婦や恋人がするように、ささやかな愛情の交わし合った記憶はない。
…昔、書物の中の物語を読んで憧れたのを思い出す。
悲劇の恋人達の切ない逢瀬。
竜退治の王子が悪竜を打ち倒し、眠れる姫の呪いを接吻によって覚ますのだ。
だから。
唇を重ねられても、少女は黙ってそれを受け入れた。
ぼうっとした思考の中で、舌が割って入り込んで来たのを感じ取る。
オルブは焔の民と言われるだけもあって、
合わせた掌はとても熱く、絡みついてくる舌は温かかった。
すぐにちゅ、ちゅ、という水音が聞こえ出す。
その微かな水音と、相手の柔らかな口付けに、少女は安堵にまどろんで――
――ようやくそこで、淡い恐怖を覚えた。
心地よいのである、何も感じないというのとは違って。
安らぎさえ覚えるのだ、相手は蛮族で、しかもこれから犯されようとしているのに。
苦痛や嫌悪を感じるならまだいい、痛めつけられるのには慣れている。
何も感じないのもまた許せる、人形のように機械的に、ただ役目を果たすだけなのだ。
だが、これは。
「ふ……」
相手の舌を押し出そうと押し返した舌が、しかしぬるりと絡め取られた。
結果的にそれは更なる摩擦を伴って、愛撫をより激しいものにする。
(……いや)
半身のしかかってくる男の上半身が彼女の乳房を押し潰し、重みがとても心地よい。
(ちがう、違う)
合わせた掌を握る指を、ついついこちらから握り返してしまう。
(違う、違う、違う、違う!)
心臓がとくとくと高鳴って、えもいわれぬ感情が胸中で蛇のようにとぐろを巻いた。
(私、そんな……)
- 327 :いぬのおひめさま(前編):2008/09/27(土) 17:58:55 ID:R2+99A1R
-
叶う筈がないと、諦めながらに見ていた夢がある。
悪い竜をやっつけて、囚われの姫を助け出しに、白馬の王子様がやってくるのだ。
「いや、ぁ」
ようやく解放された唇から、か細く震えた悲鳴が上がる。
一体全体何が嫌なのか、彼女自身にも混迷の極地でよく分からないにせよ。
対して首筋に移動した男の唇は、そのままゆっくりと舌を這わせる。
「や……」
それはれろれろと動物のように白い肌を舐めながら、ゆっくりと下方に移動して、
やがてなだらかな乳房の上を這い上がると、
耳輪の填められた乳首へと辿り着き、そこを重点的に責め始めた。
同時に反対側の乳房を、片方の手がやわやわと揉みしだく。
「ん……」
くすぐったさともこそばゆさとも付かぬ、優しくも柔らかな細波に、
耐え忍ぶかのようにぎゅっと目を閉じる少女だったが、
ふいに男の攻め手が止まり、乳房を枕にするが如く頭がぽふりと預けられた。
僅かに安堵の息を吐けたが、それも一瞬のことだった。
「――どきどきしてる?」
「ッッッ!!」
聴かれていると分かった時には、もう遅い。
心臓が跳ね上がるかのような驚愕と共に、全身がビクンと痙攣を起こす。
それは確かに徴となって、乳房に耳を当てる男の鼓膜に届いただろう。
母の胸にと身を預けるがごとく、微動だにしない男に対し、
やはり反抗らしい反抗もできず、ただただ身を縮込まらさせて震えるしかない少女。
『かつて』がそうだったのと同じように、
しょせん『家畜』の彼女にできる抵抗などそれぐらいなものなのだ。
「……最初はさ、半月くらい様子見て、友達同士から始めようとか思ってたんだけど」
対して女の胸に顔を擦りつけるように、その上で大きく伸びをした後、
「やっぱやめたわ、今から犯すな」
「……うえ?」
思わず聞き返した少女を他所に、男は勢いよく身体を起こした。
- 328 :いぬのおひめさま(前編):2008/09/27(土) 17:59:25 ID:R2+99A1R
-
「悪いなー、でも俺も包囲やら戦後処理やらで最近死ぬほど忙しくてさ。
ここ一ヶ月近く女抱いてないせいで、やっぱり溜まってんだよね」
おもむろにカチャカチャと自分のズボンを脱ぎ出す男。
例によって男の言葉についていけず、言われたい放題で固まっていた彼女だったが、
「…それに『こんな身体見て粗末なもん勃つわけないでしょ』なんて挑発されたらさぁ」
「……え?」
露になった男の下半身を目にし、泳がせていた焦点をその一点へと集約させた。
少し。
いや少しどころではなくかなり。
「……ここで勃たなきゃ男じゃないっしょ?」
「……え、ええ?」
朗らかに笑う男だったが、股間からそそり立つそれは明らかにおかしい。
色もそうだが、長さも、太さも、形状も、彼女の記憶にあるものとは大幅に違っていた。
というか、入れるものではないだろうこれは。
錯覚でなければ、胴回りが彼女の手首くらいはあるように見えるのだが。
「ん? どったの? 急に怖気づいたみたいだけど?」
ぬうっと顔を突き出してきた男が、獣のような笑みを浮かべる。
「さっき『犯したいなら勝手に犯せば?』とか言ってなかったけ? おかしーなぁ?」
「……う」
ねっとりと耳元に囁く姿が、まるで猫科の肉食獣に見える。
「だーいじょぶだって、優しくするから!」
なのに『人間』よりはよっぽど優しく、
「それに断っとくけど俺、『言うこと聞かないと民が地獄見るぞ』みたいに
女一人と領民の命天秤に架けるトコまで頭のネジぶっ飛んでもいないからさ!
安心して俺に気持ちよくされちゃっていいぞ!」
『人間』よりは、よっぽどまともだ。
「…どう…して……」
思わず女が問い返してしまうのも、無理はなかった。
欲情されていると気がついて、途端にどうしてか羞恥が込み上げ胸と股とを腕で隠した。
弄ばれ、傷つけられ、畜生以下にまで貶められてしまった自分の身体を見られたくなかった。
どうして放っておいてくれないのか。
どうして冷たくしてくれない。
自分に果たしてどれほどの利用価値があるか、他でもない彼女自身が実は一番知っている。
侯爵夫人などという肩書きとて、昔も今も形骸でしかない。
『奴隷や家畜と変わらない』という男の言葉の正しさを、誰よりも知るのは彼女自身だ。
- 329 :いぬのおひめさま(前編):2008/09/27(土) 18:00:25 ID:R2+99A1R
-
「だってあんた、可哀想だろ」
なので『空の色は青いだろ』とでも言うのと変わらぬが如く普通に男が言い切ったのは、
青天の霹靂とばかりに少女の瞳が見開かれた。
「…そんな人間に酷い目に合わされまくった犬ッコロみたいな目されてたらさあ、
なんかこう、幸せ見してやりたくなるのが男の人情ってもんじゃん?」
「い、ぬ……」
『犬ッコロ』という単語にやや強張りを見せるものの、
嫌味や侮蔑を含むでもなし、あっけらかんと言われた『可哀想』という言葉は、
頑なな岩に染み通るがごとく、少女の心を浸潤する。
自分はやっぱり、可哀想なのだろうか?
自分はやっぱり、憐れまれるような境遇にあるのだろうか?
自分はやっぱり、『犬』なのだろうか?
「それに、最初に言っただろ」
迷いの内におとがいを指で摘まれ、ぐいと顎を持ち上げられる。
猫のような目と笑みに、鳴るはずのない心臓がドキリと鳴る。
「敵国の美姫を手に入れたからって、嬲って晒し者にしなきゃダメっつー道理でもなし」
火照るはずのない奥が火照りを覚える。
疼くはずのない芯が疼きを覚える。
「身体だけありゃいいんならな、山羊のマンコにぶち込んでりゃいいんだ」
下卑た俗語にさえ反応する、卑しい己が身に赤面する。
至近から覗き込まれる男の目の輝きに耐え切れずして、少女はふるふると目を閉じた。
「俺は心が欲しいんだよ」
『犬め!』という言葉と共に、杖でぶたれた記憶が蘇る。
『犬め!』という言葉と共に、鞭で打たれた記憶が蘇る。
罵られ、蔑まれ、蹲った所で更にお腹を蹴り上げられて無様に床を転がされる。
周りの誰も助けてくれない。控える小姓や侍従達も、飛び火を恐れてただ縮こまるだけだ。
実家の身内も助けてくれない。おそらく叔父は、承知で自分をここに送った。
そういう時代だったのだ。
女は弱く、不浄とされ、貞淑であることが美徳であり、夫に逆らうのは許されなかった。
なにより対等な家柄の婚姻ではなく、彼女は名実共に『献上品』だった。
そういう時代、――『だった』のだ。
<続>
- 330 :名無しさん@ピンキー:2008/09/27(土) 18:43:02 ID:DoeWL43G
- 今までにないストーリー運びとキャラの明るさが魅力的ですね。
作者さんのチャレンジ魂にGJです。
- 331 :名無しさん@ピンキー:2008/09/27(土) 19:00:51 ID:zElY7mzQ
- 名作のヨカーン! つ、続きを〜〜〜〜!
- 332 :名無しさん@ピンキー:2008/09/28(日) 09:57:51 ID:eVM2SqBG
- 少女も青年もイイヨイイヨー
話は面白いし、すごい続きが気になるのぜ…
楽しみにして待ってます
- 333 :名無しさん@ピンキー:2008/09/29(月) 01:25:39 ID:JwxqfjRv
- 表現が過激なのにどことなく少女漫画を思わせるキャラクターや雰囲気がすごく良かったです
続き楽しみにしてます
- 334 :名無しさん@ピンキー:2008/09/29(月) 22:28:48 ID:QiiIbigB
- これは面白い!
少女が幸せになれますように
- 335 :名無しさん@ピンキー:2008/09/30(火) 19:53:59 ID:MW6+eBsY
- 続きが読みたい…!
- 336 :名無しさん@ピンキー:2008/09/30(火) 22:31:01 ID:UOdjQL4P
- は、はやくつづきを…!
- 337 :名無しさん@ピンキー:2008/10/01(水) 01:54:35 ID:Ihf84a5c
- 確かに鬼畜風なのに純情物語に見える!
続き楽しみに待ってます!!
- 338 :名無しさん@ピンキー:2008/10/02(木) 15:15:01 ID:Ew63vTbe
- 泣く姫はいねがー、悪い姫はいねがー
- 339 :名無しさん@ピンキー:2008/10/02(木) 15:23:46 ID:dgP3lsWS
- わっふるわっふるわ(ry
- 340 :純一 ◆9vV3o3MEJE :2008/10/04(土) 00:31:42 ID:4gdBEo3R
- arcadiaでも捜索以来出したんですけど、みなさんの力を貸してください。
・魔法使いとお姫様が主人公
・魔法使いは何らかの理由で半ば強引に姫を抱かなければならなかった
・そのため姫の従者(女)からは最初毛嫌いされていた
・抱かれることにより姫はだんだんと魔法使いに惹かれていく
・同じサイトに「籠の鳥」といったような題名の短編小説があった
・なにかの童話のパロもあったような
こんなシチュの小説だれか覚えていませんか?ちなみに下に行くほど情報が不確かです
- 341 :純一 ◆9vV3o3MEJE :2008/10/04(土) 00:39:39 ID:4gdBEo3R
- ともったらむこうのサイトで解決しましだ。
ちなみに『Lの本棚ーH』の「魔女の弟子」でした
無駄レスすいません
- 342 :名無しさん@ピンキー:2008/10/04(土) 01:29:01 ID:oo61GfDc
- 神作品ktkr!!
続きが楽しみで寝れません後編投稿お待ちしております!
- 343 :名無しさん@ピンキー:2008/10/05(日) 22:44:43 ID:CYjDVgyf
- 【エロじゃない】DID系作品スレ【SMじゃない】
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1220431440/l50
囚われのお姫様に興味はあるけど、エロはどうも、という人はこんなスレはいかがでしょう
- 344 :花影幻燈(中篇)前書き:2008/10/05(日) 23:48:58 ID:Y/Hw52+z
- 「花影幻燈(前篇)」のつづきです。
前回、前・後篇で投下予定と申し上げましたが長くなりすぎたので三部構成にしました。
完結篇を待っていてくださったかたがたには本当に申し訳ありません。
ご感想をくださったかたがた、本当にありがとうございました。
今回も終わり方(というか続き方)の後味があまりよくないかもしれないのでご注意下さい。
また冒頭以外は延々と非エロ話がつづくため、興味のない方はスルーしてください。
- 345 :花影幻燈(中篇):2008/10/05(日) 23:55:27 ID:Y/Hw52+z
- 「こんばんは、お義兄様」
顔を上げると、いつのまに扉を開けて入ってきたのかエマニュエルのすらりとした輪郭が文机の雨に佇んでいた。
燭台から放たれる淡い光は書斎の闇の中にその滑らかな小麦色の肌を浮かび上がらせ、
礼拝堂の一角から信徒たちを見下ろす聖女像のようにおごそかな気品をまとわせていた。
「何を読んでいらっしゃるの?」
首を少しだけ前に傾けて義妹が問う。
湯浴みから上がって間もない洗い髪がアランの目の前で揺れ、白檀のゆかしい香りを惜しみなく漂わせる。
「この図解は黄道かしら。
そういえば、お義兄様は自然科学のなかでもとりわけ天文学をお好みなのだと、以前姉様からうかがったわ」
夜毎の訪問だけでなく自分という女の存在そのものを忌んでいる義兄が
こういった問いに決して答えるはずがないことはよく分かっているので、
エマニュエルはひとりごとのように淡々とつづけてゆく。
アランは文机の上で両手を組み合わせ、視線を本の上に落としたまま微動だにしない。
「避暑と休息のためにこちらにいらしたはずなのに、
昼間は離宮近郊の農村を視察なさったり、直訴状に目を通されたり、
今日などは州長官を招聘して行政の現状を聴取なさったりと、勤勉のきわみでいらっしゃる。
それなのに夜はまた学問に励まれるとは、君主の鑑と申し上げるべきですわね」
アランは依然として何も答えない。
しかしその伏せられた褐色の瞳の奥では、
かろうじて静けさを保ちながらも紅蓮の怒りが今に炎上せんばかりであるのは明らかだった。
その事実にエマニュエルはほとんど倒錯的な喜びをおぼえたかのように口元をほころばせる。
それは誰の目に触れたとしても、善良無垢にして自らのうちに品位を保つ高位の修道女のような微笑だと評されたことだろう。
アランは義妹のほうを努めて見まいとしていたが、
彼女が椅子の近くに膝をつきあたかも従順な婢女のようにこちらを見上げてきたので
どうしてもその微笑を視界に収めないわけにはいかなかった。
顔の造作も同じならば微笑の性質さえ妻と同じであることに彼は気づかされ、
いっそうやりきれない陰鬱な思いに身も心も浸食されてゆく。
だがエマニュエルは、義兄にそれ以上の思索を許さないかのように自らの身を彼の両膝の間に滑り込ませ、
微笑そのままの柔らかいまなざしで彼を見上げながら幼子に言い聞かせるように優しげな、しかし確固とした口調で語りかけた。
「終日の疲れを癒して差し上げますわ、お義兄様」
そして彼の帯に指をかけて銀の留め具をはずし、寝衣の合わせ目から肌着へと手を差し込み、ためらいなく彼自身を取り出した。
突如女性の滑らかな手に包まれたというだけでなく、取り出す際に彼女がその裏側にほどこした愛撫があまりに巧みであったため、
純粋な生理現象としてそれはすでに充血を始めていた。
「硬くなっていらっしゃる。待ちきれなかったのね?」
「人を、愚弄するな」
突き放すように乾いた声でアランは答えた。彼女の指使いに快感を得ているということだけはこの娘に気づかれたくなかった。
「ようやく口を利いてくださったわね、お義兄様。
既に七日目なのですから、もう少し打ち解けてくださってもよろしいのに」
「黙れ」
腹の底からの怒気を込めた声を上げようとした途端、アランは唇を噛みしめることを余儀なくされた。
彼自身の先端は今や品のよい形をした紅唇に包まれ、
その内側では柔らかな舌が長寿によって魔力を得た蛇のように執拗な愛撫を始めていた。
円を描くように亀頭の周囲を舐めつくしてしまうと、エマニュエルは一旦口を離して義兄の顔を見上げた。
その端然とした美貌はあくまで執務中のような平静を保とうと努めていたが、
唇を噛んでいなければ今にも深い呻きと熱い息を自分の頭部に吐きかけるであろうことが、彼女にはよく分かっていた。
- 346 :花影幻燈(中篇):2008/10/05(日) 23:58:15 ID:Y/Hw52+z
- 「我慢などなさらなくていいのよ、お義兄様。どうかお楽になさいましな。
もとよりこのような願望はおもちだったのでしょう。
書物に囲まれた静謐な学究の場で淫らな奉仕を受け、
形而下的な欲望をすっかり吐き出しては思考を純化させるという。
けれど姉様はそのような痴戯には決して応じてはくださらぬでしょう?
わたしたちの生国でさえ今どき珍しいほど、
ましてこの享楽的な貴国におかれてはめったに見出せないほど生真面目で信心深いひとですものね。
けれどわたしなら、あなたの願望をくまなく満たして差し上げられますわ。
どれほど罪深い営みでも、どれほど浅ましい愛撫でも。
どうしても受け入れられぬとおっしゃるなら目をおつぶりなさいませ。
そして他ならぬ姉様が、愛する奥方がいまあなたのまえに跪き、
あなたに歓んでいただかんがため無心に奉仕に励んでいるのだとご想像になればよろしいのですわ。
用いている香料とて同じものですし、何も難しいことはありませぬでしょう」
「馬鹿なことを。そなたのような淫婦とエレノールを同列に並べるなどと」
「あら、最初の晩にお膝の上で『姉様』を激しく責め苛みながら何度も淫乱呼ばわりなさったのはどなたでしたかしら。
自明の真理のように呼び慣れていらっしゃるご口調でしたわね。
よほど時間をかけて惜しみなく開拓あそばされたのかしら。
あの慎ましい姉様が、とわたしでさえあの晩は意外に思ったものだけれど、
でも考えてみれば当然という気もいたしますわ。わたしと同じ血が流れているのですもの。
精力あふれる殿方を欲してやまない淫蕩な血が」
「―――そなたは」
努めて呼吸をなだめようとしながら、アランは初めて義妹と目を合わせた。
「なぜエレノールだけでなく、自分をも貶めなければ気がすまない。
まるで自ら泥濘のなかに身を沈めたがっているようにしか思えぬ」
エマニュエルは微笑を消した。答えを返さないまま、義兄の視線を無感動に受け止める。
しかしやがて沈黙のうちにこうべを垂れると、硬直を保ったままの彼自身にさらなる愛撫を加えんと
先ほどにもまして巧妙に口舌を駆使しはじめた。
小さな愛らしい舌で裏側を丹念に舐めているうちに先端から透明な液が分泌されてきたことに気づくと、
一滴でも床に滴り落とすことを惜しむかのようにすばやく舐め取ろうとする。
その貪欲なまでにこまやかな奉仕ぶりは否応なくアランの興奮と背徳感を煽り立てた。
そして世の男たちのそのような生理的回路を知り抜いているかのように、
エマニュエルは小さな唇をできる限り大きく開けて彼自身を根元近くまで咥えこみ、
姉姫生き写しの気品ある眉目とは水と油のように相容れぬ卑猥きわまりない音を立てながらゆっくりと吸い上げた。
この期に及んでは鋼の自制心と自尊心を以てしても喘ぎをこらえることはできなかった。
アランは右手で口を覆うことで、書斎の天井に声を響かせることだけはかろうじて免れ得た。
「姉様はこのようなことはしてくださらぬでしょう?お義兄様」
囚われの牡が限界まで反り返っているのをたしかめるようにして彼女はそれをゆっくりと口から取り出し、
義兄の下腹部から少しだけ顔を離した。
「でもわたしならできるわ。わたしには姉様のような自己欺瞞はありませんの。
ただこの肉体が欲するままに動くだけ。
もう一週間ほども肌を重ねて下さっているのですもの、すでにお分かりですわね。
どうかお義兄様、そのようにお身体をこわばらせず、ご自分に忍耐を強いることなく、
わたしを娼婦のようにお取り扱いなさいませ。そのほうがお互いに満たされますわ」
「そういう言い方はするな」
「密通を強要されている貞夫という体裁をお保ちになりたいのなら、あえてこれ以上は申し上げませんけれど。
けれどお分かりでしょう、お義兄様。あなたのご命運はあくまでわたしの掌中にあるのだということは。
たとえどれほど不本意でも、あなたはわたしの希望を満たしてくださらなければなりませんわ。
わたしが中に出してと申し上げたら中にお出し下さいませ。何をおそれていらっしゃるのです?
すでにお察しのとおり、わたしはヴァネシアの宮廷に幾人も愛人を抱えております。
半年後にお腹のふくらみが隠せなくなってきたからといって夫が正しく見当をつけられるはずはありませんわ」
- 347 :花影幻燈(中篇):2008/10/05(日) 23:59:20 ID:Y/Hw52+z
- 「―――よくも平然と、そのような愚昧を口走れるものだな。
愛妾を侍らせてそなたを省みない夫君への意趣返しとして愛人をつくるのはまだ理解できる。
だが夫以外の男との間に努めて子をもうけ、それを継嗣に据えて恥じないかのようなそなたの言い草は、
ヴァネシア公のみならず彼を正統な君主として戴いている臣民に対する裏切りに他ならんぞ。
君侯の妃として確固とした自覚をもつがいい」
「―――わたしが自ら望んだ地位ではありませんわ」
「だが現にその権益を享受しているだろう。
外国の保養地へ静養におもむくのも、若く美しい廷臣を愛人に抱え俸禄を加算してやるのも、
そなたの身をきらびやかに飾るのも、すべて拠るところは民の―――」
「わたしにどうしろと?他に行くところなどないからよ!」
突如荒げられた白銀の鈴のような声は、彼らふたりを包み込むようにしばらくその余韻を宙に漂わせていたかと思うと
書斎の最奥部へとゆっくり吸い込まれていった。
「失礼いたしました」
エマニュエルはぽつりと呟き、そしてまたアランの顔を上目遣いに覗き込んだ。
その漆黒の瞳はすでに穏やかさを取り戻していたが、しかし同時に、不気味なまでに平板な色を感じさせた。
「どうかこれ以上、わたしの不興をこうむるような言辞はお控えくださいませ。
さもなくばじきに、あなたが最もお避けになりたかった事態が出来いたしますわ」
そしてアランの反駁も許さぬかのように彼のものをしっかりとつかんで口に運び、先走りの汁を滴らせるその先端に接吻した。
「どうか一滴も無駄になさらず、わが口にも秘所にもあなたのものを余さず放ってくださいませ。
これはお願いではありません。わたしたちの『契約』に正しくのっとった義務のご履行を促しているだけですわ。
あなたの白いものでわたしを奥まで満たして、―――汚しきってくださいませ」
- 348 :花影幻燈(中篇):2008/10/06(月) 00:01:30 ID:lYRTjulg
- かすかに衣擦れの音を伴いながら、エマニュエルが窓辺に近づいてゆく足音が聞こえた。
熱気と情事の余韻が籠もった室内の空気を入れ替えようというのだろうか。
アランは寝椅子に横たわったまま、寝衣を胸元で掻きあわせただけの姿でひとり天井を仰いでいた。
昼間に見たならば鮮やかな彩色が施されているはずの広々とした方形は、
この真夜中にはただ漆黒の覆いの内側で沈黙を守るばかりだった。
やがて山麓特有の澄んだ空気が火照りの残る肌を優しく包み始めたころ、エマニュエルもゆっくりと彼のほうへ戻ってきた。
「お義兄様、お顔色が優れないわ。せっかくのご明眸が台無しに」
「離れよ」
甲斐甲斐しい新妻のように彼の額にかかった乱れ髪を掻き上げようとする義妹の手を払いのけながら、アランは短く言い放った。
「そろそろ好意を受け入れてくださってもよろしいのではなくて?」
別段気分を害するでもなく、気怠さの残るゆったりした声で問いかけると、
エマニュエルはいとおしそうに義兄の形のよい唇に長い接吻を落とした。
その真意はむろん親愛の表明などではなく、
彼に己の立場が虜囚にすぎないと思い出させるための示威行動であることは言わずもがなの事実であった。
義妹が顔を離すや、彼は袖口で口元を拭った。
そのようすを見ながら、エマニュエルは依然として淡々とことばをかけた。
「かえすがえすも律儀なかたね。
ここにはわたしたちふたりだけなのだから、あなたもお気持ちを入れ替えてお愉しみになればよろしいのに。
わたしと姉様が寸分違わぬ顔に見えるのは今でも同じことでしょう?
ならば姉様が―――あなたの愛する貞淑な奥方が今だけは夜毎娼婦のように振る舞ってくれる、
そうお考えになればよろしいのですわ」
「馬鹿な」
「愚かなのはどちらかしら。
伝え聞いたところでは、お義兄様はご婚約時代、ひいては結婚後も姉様がかの侍従に操を立て契りを拒んでいるうちは、
宮廷の内外で相当な風流貴公子ぶりを発揮しておられたご様子。
そのころのことを思い出されませ。
身元さえも知れぬ女人と枕を交わすことには常に新鮮な情趣が伴ったことでございましょう。
それこそが生の歓びというものですわ。
姉様に伺ったところでは、あなたは本来、信仰や戒律を日々の拠り所とされるかたではあられぬのでしょう。
女々しく思い煩うのはお止めになり、割り切って官能の歓びを追求なされませ。
それでこそ地上の一切の苦悩は救済されるのですわ」
アランはふと顔を動かし、だいぶ弱々しくなった灯火にぼんやりと映し出されている黒髪と端麗な横顔を眺めた。
寝椅子の傍らの安楽椅子に腰掛けたエマニュエルはすでに寝衣の帯を締め、
悩ましく乱れた豊かな髪を白銀の櫛で流れるように梳いていた。
これもやはり東洋の名匠の手になる極上の舶来品なのであろうか、
彼女の腕が上から下へと優美に下ろされるたび、うねるような漆黒のなかに月華のかけらにも似た白い粒子が気まぐれに煌めいた。
義兄が初めて自らこちらを向いたことに気づき、エマニュエルは動作を止めた。
しかし表情の落ち着きは変わらなかった。
「いかがされました」
「救済と言ったか」
「ええ」
「本心からの、信条か」
「世の理に目を向ければ、誰もがいずれはたどり着く結論ですわ。それが何か」
「―――何でもない」
短く答えるとアランは寝椅子の上で寝返りをうち、今度こそ義妹に背を向けた。
- 349 :花影幻燈(中篇):2008/10/06(月) 00:03:40 ID:lYRTjulg
- 七日前に「契約」を交わして以来、彼らはこうして別れを告げるのが習いになっていた。
互いの身体を離した後はアランは常に義妹から顔を背け、
その艶やかな肌から情欲の残滓が拭われる様もしなやかな肢体が優雅に寝衣を羽織る様も、決して見届けようとはしなかった。
殊に、エマニュエルの囁きに促されたごとくに、交わりのさなかふとした瞬間に一種異様な興奮を
―――それはむしろ倒錯と呼ぶべき奇妙な感覚だったが―――覚えてしまったときなどは、
身体を離したあとに彼女を視界に収めたくないどころか、
文字通りその存在を地上から消し去りたいと願わずにはいられないほどの狂おしい後悔と憎しみに苛まれるのだった。
今夜はそのような倒錯的歓喜は免れえたものの、彼女の望むがままにその口に秘所に精を放ち、
あまつさえ事後にことばをかけてしまったことで、アランは今さらながら形容しがたい自己嫌悪の念にとらわれた。
さらにまた、あと数時間もすれば朝餐の席でエレノールと顔を合わせねばならない。
妻は乳母に付き添われているルイーズのようすに目を配りながらも、
今日は妹とどのように過ごすつもりかをアランにうれしそうに話すだろう。
今さっき彼の精液をためらいなく嚥下し、
引き出せる快楽は余さず引き出そうと彼の膝の上で腰を打ちつけ続けたその妹との予定を、彼女が居合わせる食卓で。
(気を、強くもたねば)
エレノールの心の安定を守るどころか、このままでは俺が精神を危うくしかねない。
両手を額に当て、アランは何とか平静を取り戻そうとした。
だが自分を暗い淵から引き戻そうと思えば、浮かんでくるのはエレノールの柔和な面影ばかりだった。
幼いルイーズに向ける微笑、
義理の弟妹たちが騒動を惹き起こすたびに浮かべる困惑と心配、
御苑で早咲きの薔薇を見つけたときの歓喜、
そしてアランの身体の下であられもない声を上げて果てたあとに見せる、自らの乱れぶりに消え入らんばかりの恥じらい。
(―――あれをこれほどに想うことさえなければ)
アランは静かに唇を噛んだ。
政略のために娶ったにすぎない妃をここまで真摯に愛することさえなければ、今回のことは単に刺激的な情事になりえただろう。
エマニュエルの説くとおり、官能の欲するままに義妹との交情を、かつてない愉悦を堪能できたはずなのだ。
世の習いからいえば、背徳的な関係ほど人の興奮をより深くより熱く駆り立ててゆくものなのだから。
そうだわ、と思い出したように呟くエマニュエルの声が静寂を破った。
「明晩は参りません」
「――――そうか」
天恵のように降り来たった安堵に包まれながら、アランも短く無関心に答えた。
義妹の行動を把握しておきたいがためにその理由を問いただしたい気もしたが、
あえてそれを口にすればまるで彼女の不在を惜しんでいるかのようで、彼は結局何もつづけなかった。
身支度をすっかり整えたエマニュエルが音も立てずに扉のほうへ向かいかけたとき、アランはようやくその理由に思い至った。
しかしそれがあまりに意外であったため、つい口から問いが漏れた。
「明後日に参拝を控えているためか」
エマニュエルは何も答えず、振り向いて義兄を一瞥することもせずそのまま扉に手をかけ、やはり音も立てずに出て行った。
品よく伸ばされた背筋はもちろん、小粒の真珠を散りばめた金鎖で軽くまとめられた髪の長さまで
エレノールと寸分違わぬ義妹の華奢な背中が暗闇に消えてゆくのを見届けてから、アランはゆっくりと寝椅子の上で起き上がった。
書棚の列の合間から見える窓に目をやれば、白々とした黎明の気配がわずかだがすでに感じられた。
(案外信心深いものだ)
姦淫の正当などを説いておきながら、とアランはぼんやり霞むような頭で思った。
明晩は聖域に詣でる前夜であるから、潔斎を守り罪深い行いは慎むというのだ。
総じて現世の生の充足を追求することが奨励され退廃的な空気を色濃く漂わせるガルィア宮廷で生い育ってきたアランにしてみれば、
昨年ついに僧籍に入ってしまった三弟ルネを除けば、
神の名において定められた戒律をそこまで厳格に履行しようとする人間を身辺に見いだしたことはほとんどなかった。
それゆえに義妹のこのような一面にふと触れてみると、
いかに激しく姉への憎悪を吐露するとはいえやはりエレノールと同じく、
聖人聖女や彼らにまつわる聖地を心から崇敬し聖遺物の収集に尽力してやまないスパニヤ王家の血が流れているのだな、
と今さらのように思い起こされた。
- 350 :花影幻燈(中篇):2008/10/06(月) 00:06:55 ID:lYRTjulg
- ここレマナの地は比較的なだらかな山岳地帯より成り、ガルィア王家の離宮はその山間に広がる小紺碧湖のほとりに建てられている。
小と名がつくとおり別の山間には本来の「紺碧湖」と称される湖があり、
さらにいえばこの一帯は山頂や山間、山麓とを問わず大小さまざまな美しい湖沼に恵まれていた。
滴るようにゆたかな緑と透き通るような湖水、さらにそこへ万病に効くとされる鉱水の発見が加わって、
レマナはいまや国内外に名高い一大保養地であり、王家からひときわ深い愛顧を賜る王室直轄地のひとつでもある。
近隣の農村には離宮の増改築のための徭役が課せられているものの税制上は優遇措置がとられており、
また土地全体が水利に恵まれているため住民の暮らしはまずまず豊かである。
だが偉大なる創造主の格別な恩恵を受けて久しいかのように見える風光明媚なレマナの地も、
隣国との戦後条約によりガルィアの版図として確立されるほんの百五十年ほど前までは
大国の狭間に位置する主なき土地として紛争地帯の悲哀を底まで舐めつくし、
度重なる戦火と暴徒による略奪、そして両国の軍隊による威圧行動に住民は疲弊しきっていた。
ことあるごとに男手が動員されるため山肌に開墾された畑は荒れ果て、
漁撈用の船や網の修繕さえも省みられることがない。
ことに全大陸的に疫病が流行したその年、レマナの多くの農家では生産力を有する年齢に達した子女を養うことが限界となり、
不運にも生まれてきた赤子や乳離れしてまもない幼子の多くが人知れず山奥に捨てられては命を落とした。
現在王家の離宮が聳え立つ小紺碧湖のほとりからほど近いところに、山向こうへと通じる正規の街道があり、
その途中で分岐する小径のひとつが山中のとある洞窟へとつづいている。
そこもやはり件の年に近隣の山村の住民たちがしばしば子捨てのために訪れた場所であった。
洞窟の最奥部は大人の腰のあたりまでくぼんでいるため、
乳飲み子はもちろん体力の衰えきった幼子がそこから抜け出すことはまず不可能と考えられたのだ。
住民からは「暗き柩」と呼ばれるそのくぼみの底へ、ある日ひとりの男児が涙にくれる若い母親の手で降ろされ、
聖人の加護を祈る護符とともにただひとり取り残された。
数日たったころ、せめて埋葬だけでもしてやりたいと痩せ細った足でふたたび洞窟を訪れた母親が目にしたのは、
背中に羽根を生やしゆったりした服をまとったこのうえなく美しい人間、
男とも女ともつかない見知らぬ人間の腕に抱かれて眠る我が子の姿だった。
彼女が洞窟にこだまするほどの驚きの叫びを上げると羽根をもつ人物の姿は消え、後には安らかに眠る男児だけが残された。
天使の降誕はあるいは幻覚かもしれなかったが、幼い息子が「暗き柩」から逃れ出たこと、
そして洞窟内の岩壁からいつのまにか沸き出でていた鉱水により渇きを癒し、
洞窟の入り口付近に立つ山葡萄の木から落ちた実によって飢えをしのいだことは事実であった。
不思議なことに、近隣の村人は誰一人その鉱水と山葡萄の木の存在を知らず、必然的にその幼子が見出した
―――言い換えれば創造主が彼の延命のために賜ったのだということになった。
その後も男児はこれまで誰も知らなかった鉱水が流れ果樹の群生するところへと大人たちを導き、
近隣の村々を病や飢えから救ったのだという。
そして彼は十五のときに自ら山奥の修道院の門を叩き、
生い立ちにまつわる神秘的な伝承に驕ることなく学問と修身に励んだばかりか、
その徳行と学識により教会の中央組織から莫大な聖職禄を伴う地位を打診されたときも毅然として断り、
終生粗衣粗食を貫きながらここレマナの地で人々への奉仕と両国の紛争回避に尽力したと語り伝えられている。
その高僧は没後ほどなくして聖人の認定を受け、今では聖リュシアンと呼ばれ国中から広く敬愛を集めている。
- 351 :花影幻燈(中篇):2008/10/06(月) 00:10:27 ID:lYRTjulg
- 教会の認定を受けた聖人聖女は通常、生前起こした奇跡にちなんだ守護対象をもつことになっているが、
聖リュシアンもその例に漏れなかった。
今では一般に樽職人および果樹園主の守護聖人として崇められており、
彼の命日には山葡萄をかたどった木の彫り物を作業場や果樹園の門前に提げる例が広く見られるが、
一方ではまた、「見捨てられし者、忘れ去られし者たちの守護者」とも呼び慣わされている。
そしてかの鉱水が沸きいづる洞窟は彼の生前から奇跡の地として徐々に近隣の村人たちの信仰を集めるようになり、
今ではガルィア国内外からあまたの信心深い人々、苦悩を抱える人々を迎え入れる国際的巡礼地のひとつである。
教会の調査により洞窟全体が聖域と定められているが、
殊に今も脈々と湧きいづる鉱水は、生まれてまもない幼子に健やかな肉体と魂を約束するものとして
多くの年若い父母たちを惹きつけている。
王太子夫妻が娘ルイーズを伴って明後日に参拝を予定しているのはまさにその洞窟であった。
そもそもが敬虔な信仰生活とは縁遠いアランは、高名な巡礼地が離宮近郊にあるからといって大した感興を覚えるでもなかったが、
エレノールの熱の入れようはまるで対照的で、
「去年はルイーズが幼すぎて避暑地に伴うことができなかったのだから
今年こそあの子に聖リュシアンのご加護を乞うてあげなくては」
と都にいるころから何度となく夫に力説するほどであり、
彼女の意向により洞窟への参拝はだいぶ前から離宮滞在中の予定に組み込まれていた。
しかしエマニュエルを離宮に迎えた後、
妹を聖地に伴ってゆきたいという懇願をアランは妻から聞いたことがなかった。
その代わり数日前、まだ彼が義妹と関係を持つ前に、
「エマニュエルがわたくしたちとともに参拝したいと申しておりますが、よろしいかしら」
という妻の控えめな問いにとくに深く考えることもなく肯定を与えたことだけおぼえていた。
考えてみればこれは奇妙な次第だった。
エレノールは湖水での舟遊びさえ妹を伴わなければ出かけようとしないのだから、
巡礼のような晴れの行事とくれば、何をおいても彼女を誘いたがるはずなのだ。
それがどうやら今回はエマニュエルのほうから願い出られ、それを消極的に、どこか困惑しながら受け入れたかたちらしい。
聖地の参拝者にはとりたてて資格が求められるわけではない。
老若男女、病人や貧民、盗賊や娼婦たるを問わず、
救済を求めてやまない誰をもその懐に受け入れるのが他ならぬ奇跡の地の役割なのだから、それは当然のことである。
エレノールはエマニュエルを参拝者として不適格だと見なしたのだろうか。
それとも単に、愛娘の祝福の儀を夫婦ふたりだけで執りおこないたかったのか。
彼女が妹を己の半身のように慈しみむしろ尊んでさえいるという事実に鑑みれば、どちらも説得力のない仮説だった。
(―――考えても仕方がない)
アランは小さく首を振った。その日はたまたま姉妹で口論でもしたのだろう。
仲がよい兄弟姉妹ほど容易に喧嘩し容易に仲直りするのは無理もない話である。
そういえば、とアランはふいに思い出した。
明日はエマニュエルの訪れがないことに安堵して終わるわけにはいかず、
彼自身もまた斎戒を守らねばならぬのだった。
明後日の参拝の主役は二歳に満たない娘ルイーズであるが、
彼女に付き添う父母としてアランとエレノールは房事を控えるのはもちろんのこと、
食事もパンとオリーブと葡萄酒のみにとどめ、日没後に二回沐浴して身を清らかに保っておく必要があった。
(清らか、か)
その一語を脳裏に反芻すると、彼は今夜の営みの代償そのもののような激しい疲労に襲われた。
エレノールは最後まで気づかぬかもしれない。
だが聖リュシアンは、あるいは天は、果たして俺を許すだろうか。
深い眠りに沈み込みながら、アランは初めて祈るという行為の意味を知った気がした。
- 352 :花影幻燈(中篇):2008/10/06(月) 00:16:09 ID:lYRTjulg
- 朝靄は白亜の壁のように立ち込め、馬車がそのなかを進もうといくらも動じる気配はなかった。
御者台の一隅に座を占めお抱えの御者が手綱を振るう音を聞きながら、
山間の早朝とはこういうものか、とアランはひどく清新な思いに打たれていた。
後方の絹張りの座席には妻と妻の妹が並んで歓談している。
今日の主役であるルイーズはといえば乳母とともに後続の馬車に乗せられ、
耳を澄ませている限りではむずかりもせずいい子にしているようだ。
本来ならアランこそ談話の主人役となるべきであったが、彼はむろん後ろへ赴いて妻たちに加わるつもりはなかった。
山道が岩がちになってきたためかふと馬車が大きく揺れ、息を呑みこむような女たちの声なき悲鳴が空気を震わせた。
アランは慌てて振り返ったもののむろん左右の頑強な手すりを越えて落ちた者などおらず、
一対の鏡像のような姉妹たちが肩を寄せ合いながら笑いさざめいているのが見えただけだった。
エマニュエルの両手が、エレノールを車上につなぎ止めるかのようにその胴体にしっかりと掛けられている。
こうしてふたりはしゃいでいるのを目にすると、一児の母と人妻どころかまだろくに宮中から出たこともないほんの少女のようだ、
とアランは一瞬不思議な気持ちに襲われたが、すぐにまた、形容しがたい陰鬱さに包まれた。
―――あの女は夜毎あのような振る舞いに及びながら、なぜ今こうしてエレノールの身を案じることさえできるのか。
しかも姉の身体を支えようとしたのは作為的なそぶりではなく、明らかに反射的に出たかのように見えた。
(女は分からぬ)
微笑ましいというよりむしろ暗澹たる思いに呑み込まれそうになりながら、
アランは努めて周囲の景色に注意を向けようとした。
山間にある離宮近くの湖畔とは違い、薄暗い山中に分け入っていくこの道はさほど景勝に恵まれているわけではないが、
国王の衛士のように左右に密に茂る草木と朝靄とを貫くようにして姿を見せ始めた黎明の荘厳さは、
やや眠気に襲われがちな王太子夫妻一行を刮目せしむるには十分だった。
御用馬車はある三叉路で脇に入り、今までにもまして岩がちな道を進んでゆく。
道幅が急速に狭まったため、ここまでその左右に付き従ってきた騎馬兵たちは
やむを得ず御用馬車の前後に回り込み、新たな護衛配置に就いた。
山越えをする本道ではないのに一応の馬車道が敷かれているのは、
教会の意向を奉じたガルィア政府により巡礼路として認められ舗装の対象となったがゆえである。
大抵の巡礼者は徒歩で悪路に耐えながらはるばるレマナを訪れることに加え、
老人や病人には近隣の修道院にて乗合馬車が提供され、
また富貴の者たちの多くは自家用の馬か馬車で乗り付けるのが常であったから、
巡礼路の整備維持はまさに不可欠な公共事業だった。
この少し先は荒々しい岩肌に閉ざされて行き止まりになっているが、
その隅には大人がようやく入れるほどの小さな洞窟が口を開け、
件の伝承の舞台につづく細長い道を万人に開放していた。
そしてアランたちが本日あえてこのような時刻に参拝に訪れたのは、
「王太子夫妻ご参拝」のお触れによって
遠路はるばる聖地を踏みにきた信心深い平民たちを無碍に追いたてるような事態を避けるためだった。
実際、薄まりつつある朝靄のなかで見晴るかすかぎり、馬車道の両脇に広がる歩道には人影らしい人影もほとんどなかった。
- 353 :花影幻燈(中篇):2008/10/06(月) 00:17:14 ID:lYRTjulg
- 「こちらで下車していただくことになります」
王太子夫妻の接待と道先案内を司るため、ここからほど近い山間の修道院
―――聖リュシアンが後半生を送ったまさにその修道院より遣わされてきた副院長が穏やかな声で告げた。
道の両脇に山葡萄の木が腕を伸ばすこの地点から洞窟までは、すでに前方に岩壁が見えているとはいえまだいくらか隔たりがある。
しかし聖人への表敬作法は世俗の君侯とて従容と受け入れるのが当然であり、
アランたちは老僧のことばどおり最後は徒歩で聖域の入り口へと辿り着いた。
外界が徐々に朝の陽光に包まれつつあるだけに、洞窟のなかは別世界のように冷然と感じられた。
番僧の手により常に火が灯されているらしく、
最奥部にゆらめく明かりが入り口付近からでもすでに窺われ、ほのかに足元を照らしてくれる。
洞窟自体がそれほど深いつくりではなく通気もよいため、訪問者たちが煙で燻されるということはない。
エレノールは乳母の腕に抱かれたルイーズの小さな顔を覗きこみながら、
この子にはもう少し厚着をさせてあげればよかったかしら、と案ずるかのようにそっと額に接吻すると、
ぬめりがちな足元に気をつけながらアランとともに副院長の先導に従った。
その後ろにはエマニュエルと乳母と護衛たちが、さらに恭しく間をおいて従僕たちがつづいてゆく。
広く語り伝えられているとおり、聖なる鉱水は洞窟の突き当たりの何の変哲もない粗い岩壁から突如として湧きいでていた。
大人の胸ほどの高さにある穿孔から糸紡ぎのように細々と流れ落ちる清水は、
少し下のほうに突き出ている水盤めいた形状の岩に受けとめられたのち、再び岩壁の隙間に染み込んでゆく。
静寂の底に奏でられる水音は聖リュシアンそのひとのように穏やかで調和に満ち、
聖域にて粛然と襟を正していた一行の心を解きほぐしてくれるかのようだった。
湧き水の周囲には囲いらしい囲いもなく、巡礼者たちが蝋燭や貴金属などを奉納するための祭壇もなかった。
いくら清貧を以て称えられる聖人ゆかりの地とはいえ、あまりに簡素なしつらえにアランはやや呆気ない思いにとらわれたが、
エレノールはあくまで厳粛な面持ちで進みいで、老僧に促されるまま地に跪いて祈りを捧げ、次いで流れ落ちる鉱水に指先を浸した。
それを合図にルイーズを抱いた乳母が歩み寄り、幼子の頭部を恭しく王太子妃のほうに向けると、
エレノールは額、首、右肩、左肩の順で娘の身体に触れてゆく。
最後にもう一度指先を濡らして額に触れ、以て儀式の締めくくりとした。
この一連の流れは近親者に祝福を授ける作法としてはガルィアの一般的なそれとは若干異なっており、
ゆえに王太子妃かつて王室付き司祭より厳しく咎められたこともあるのだが、
信仰の本質に関わる問題ではないとしてアランは妻に矯正を強いることはなかった。
実際、ガルィアの廷臣や民の不興を買うほど頑なにスパニヤの流儀を通そうというのでない限り、
エレノールが生国にいるときと変わらず心安らかに過ごせるよう極力取り計らってやりたいものだ、
というのが彼の偽らざる思いであった。
エレノールが一歩退くのと入れ替わるようにしてアランは進みいで、
細かい順序や仕草には違いがあるものの、ほぼ同様の流れにのっとり鉱水の滴りによって娘に祝福を与えた。
少量だとはいえ冷え切った水を何度も降り注がれるのであるから
ルイーズはよほど儀式の途中で泣き出すのではないかと思われたが、
意外にも不思議そうな面もちで両親の仕草をじっと見守っているだけだった。
肩まで伸びた黒髪は母親と同じ艶やかさを示しているものの、透き通るような青緑色の双眸はアランの母后譲りであり、
そのまなざしに触れるたび、アランは愛らしく思うというより心慰められる心地がしたものだった。
だが今は、妻への背信と周囲への欺瞞に首まで浸っていながら平然と聖域を訪れた我が身の不遜を、
この無垢なまなざしは何もかも見通しているのではないかという虞れが何より先に彼を襲った。
生まれてまだ間もない幼子ほど罪から遠く神に近い者はいない。
アランは娘と目を合わせるのを最後まで避けた。
- 354 :花影幻燈(中篇):2008/10/06(月) 00:18:46 ID:lYRTjulg
- 「わたしにもお許しいただけるかしら」
義妹の控えめな問いかけに彼ははっとして顔を上げた。
彼女から話しかけられるのは今日初めてのことである。
だが一息間を置いて聞き返してみればそこに何も含意はなく、
エマニュエルは姉夫婦が儀式を終えたのを機に自分も姪に鉱水の祝福を授けてよいかと許可を請うているだけだった。
「貴意のままに」
アランは短く答えてそのまま義妹から目をそらしたが、エレノールの返事は少しだけ間が開いた。
違和感を覚えてアランが見やると、先ほどまで厳かに引き締められていた妻の顔はかすかだが驚きを浮かべているようだった。
「―――ええ、もちろん。うれしいわ、マヌエラ。ありがとう、ルイサのために祈ってくれて」
そう言うとエレノールはいつもの柔らかい微笑を浮かべたが、その実彼女の動揺がかなり深いものであることは、
今はアランを交えた三人で話をしているはずなのに唐突に母国語に戻ってしまったという異状からも明らかだった。
母后がスパニヤ王家の出身であるためアランもその国語に関してはそれなりに教育を施されており、
文語での読み書きはもちろん、会話を主導できるとは言わないまでも口語もある程度は理解できる。
それを知っているエレノールが夫から何かを隠すために母国語に切り替えようなどとは思いつかぬはずだし、
何より今の彼女の返答にはアランに聞かれて困る点など何もなかったはずである。
つまるところ、妹のことばにあまりに気をとられたがため、
本来この場で口にすべき夫の母国語ではなくエレノール自身にとって最も自然な言語が口をついて出た、ということなのだ。
(だが、なぜだ)
エマニュエルの申し出には何も奇妙なところはなかった。
近親者の幸福を祈ること、とりわけ年若い叔母が愛くるしい姪のために祝福を授けることなど
身分の貴賤を問わずどんな家庭でも自然におこなわれ受け入れられていることである。
エマニュエルは一歩前に進み出で、姉夫婦と同様に冷たい鉱水に指先を浸した。
(まさか)
アランはある危惧に駆られて義妹の動作を凝視した。
わたしは姉様を憎んでおります。
アランの牡を貪るように愛撫しながら、彼女は何度となく言った。
そしてそれが真情だということはもはや疑いようがなかった。
ならば、エマニュエルの憎しみがルイーズの上にまで及んでも決しておかしくはないはずだ。
エレノールの幸福の最大の源、彼女の生活を日々満ち足らしめているその小さな命の上に。
エレノールはよもや、最愛の妹が自分に苛烈な憎悪を向けているなどとは微塵も気づいていまい。
だが母親としての直感で、妹がルイーズに対し何らかの害意を抱いているのだと、たった今悟ったのではないか。
アランは再び妻を見やった。彼女もやはりどこか緊張しながら妹のなすところを眺めていた。
だが予期に反して、エマニュエルは悪霊の力を呼びだすとされる禁忌の仕草をしたり呪詛を吐くわけでもなく、
ましてルイーズの首に手をかけるでもなく、非の打ちどころのない粛々とした挙措で以て祈りに入った。
彼女が優雅に踏襲してゆく作法のひとつひとつはアランにも馴染み深いものであったが、
全体としてはスパニヤのものでもガルィアのものでもない独特の順序―――恐らくはウァネシアの流儀に則っているものと考えられた。
エマニュエルはルイーズに祝福を与えるとまた一歩後ろに下がった。
しかしそのまなざしが姪の顔から逸らされることはなく、
まさにこの鉱水のようにひそやかに注がれつづけていることがアランにも分かった。
- 355 :花影幻燈(中篇):2008/10/06(月) 00:21:06 ID:lYRTjulg
- 「マヌエラ様は、すっかりあちらのお作法に染まってしまわれたのですね」
ルイーズを抱いた乳母がスパニヤ語でぽつりと呟いたのは、
幼子の心身に聖人の加護を乞う儀式が無事に終わり、
一同が再び副院長の先導のもと洞窟の口に向かって歩き始めたときのことだった。
「―――そうね」
つい習慣が出てしまったわ、とエマニュエルは穏やかに答えた。
彼女に語りかけた人の好い中年の乳母はエレノールが輿入れの際に生国より伴ってきた随員のひとりであり、
王女姉妹自身の乳母ではないとはいえ、恐らく幼少時からふたりに親しみ身辺の世話をしてきた身なのであろう。
年配者であればあるほどものごとの変容に感傷を抱きやすいのは当然であり、アランはとくに気に留める